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6月, 2019の投稿を表示しています

2019年上半期ベスト映画

2019 年上半期映画ベスト 10 上半期の劇場鑑賞数は 38 本。この中から 10 作品も選ぶと、ほぼ4分の1を選ぶことになり、あんまり選りすぐり感でないなあという気持ちになってしまう。しかし、 4 つずつ分けて 1 位のみが突破するグループリーグと考えると、不思議と激戦を勝ち抜いたっぽくなることに気づいた僕。 そう、これは予選会。なので順位はつけておりません! 公開順 (間 違ってたらごめん ) です。 公開順というか本当は鑑賞順って案外重要ですよね。やっぱりファーストインパクトは大きいとか、個人的なブームとか、世間の盛り上がり前に見るか、あとに見るか、上から見るか、横から見るかなどなど色々な要素が絡み合って響く、響かないありますから。あと、『 ROMA 』に関しては Netflix 配信日が去年だった ( はず ) なので除外してます。あんまり詳しく書きすぎると、年間ベスト編で書くことなくなるので簡潔に … 『マチルド、翼を広げ』  9 歳のマチルドは情緒不安定な母と … って情緒不安定ってどころの騒ぎではないじゃないか! と思ってからはもう切ない。ちょっぴり不思議な家族のお話だと思ったら大間違いである。『フロリダ・プロジェクト』でもそうだけど、外から見たらきっとこれが正解とは分かっていても … 当事者の、しかも子供ということを思うと色々と難しいよな … 『ファースト・マン』  無口で無表情な船長をライアン・ゴズリングが演じるという、ゴズリングが超ゴズる、いわばゴズり映画であり、デイミアン・チャゼルもかなりチャゼってるのでチャゼり映画でもある。これを『ラ・ラ・ランド』コンビの新作!と煽る CM は詐欺ではないかと犠牲者へ思いを馳せるも、個人的には今作めちゃめちゃ良かったですね。人類にとっては大きな一歩でも、ひとりの人間にとってはどんな一歩だったのかと思わされる構成と、美しい月面。 『女王陛下のお気に入り』 結果的に女優 3 人みんながアカデミー受賞経験ありという超実力派映画みたいになったが、これは悪趣味映画です。不穏、不穏、そして不穏。からの、エマ・ストーンのおっぱい。タイプの違う美女 2 人に言い寄られて、どっちが好きか決められないよ〜というラノベ的欲求も満たされる作品

『ホットギミック ガールミーツボーイ』感想 私の足で立つ姿も、初恋も、きっと美しいものになる

(C)相原実貴・小学館/2019「ホットギミック」製作委員会 『ホットギミック ガールミーツボーイ』 みんなのオススメにはならなくても、誰かの心に大切にしまっておきたくなる 1 本になる。そんな作品だ。山戸結希監督作品はいつだってそうかもしれない。 山戸監督作品の感想を書くことは、端的に言えば野暮である。言語化以前に、自分が何の要素で心動かされているかわからない。だが、確実に心が動いている。とはいえ、どこかでアウトプットしないと、自らの中に蠢く感情で溢れそうになるのだ。先日あんだけダサいだの古いだのゾンビたちに言われたのに、愛をもってその表現をするならば、これをエモいというのだろう。超エモい。さすが稀代のエモメーカー ( ダセえ ) 山戸結希監督である。となれば、エモーショナルに感じたなら、僕も感じたまま吐き出すしかないのだ。目には目を、エモにはエモを。だからこれは感想でもレビューでもなんでもない、備忘録にもならない殴り書きだ。原作未読。 今作がなぜここまでエモいのか(懲りずに使うよ)は一言では説明できない。しかしわかりやすく思いつくのは、言葉というか台詞である。『 21 世紀の女の子』内での『離ればなれの花々へ』の記憶が新しい、食い気味に会話をさせるというか、言葉と言葉をかぶせるように紡いでいくシーンがある。息つく暇なく放たれる言葉は、勢いも相まって心を刺して、刺して、刺してゆく。 平凡な、少なくとも自分では平凡であると思っている自己肯定感の低い女子高生ヒロインである初(堀未央奈)と、それをとりまく幼馴染 2 人と 1 人の兄。登場する男 3 人は、それぞれに影をかかえており、初に何かしらの感情を寄せている。これが好きなのか、好きってなんのか。愛なのか、恋なのか。それとも執着なのか。母の影を重ねているのか。それに対して初はからっぽだ。だからこそ、そのからっぽな器に皆が何かを注ぎたくなってしまうのか。ある意味では、これも愛がなんだ状態である。 堀未央奈さん目当てで見に来たファンも多いだろう。しかも所属している乃木坂46は、清純性を比較的売りにしているグループでもある。そんな子なのに、冒頭いきなり、あんなものやコンなものを手にしてわちゃわちゃしている。橋の上からそれを投げる姿は美しく

『ウィーアーリトルゾンビーズ』レビュー 感想 絶望はダサいし、エモいは古い。だけどゲームは続く

(C)2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS 『 WE ARE LITTLE ZOMBIES 』 ビビッドな色彩、美しく不穏な構図、観客に話しかける表現、パワーワードな台詞。あえて例えて言うなら中島哲也を連想させるような。映画の枠組みを超えた作品である。サンダンス映画祭、ベルリン国際映画祭で 2 冠。短編『そうして私たちはプールに金魚を、』監督の長久允の初長編作品。 行間を想像させる映画というより、行間という行間に情報を流し込む映画だ。視覚的インパクト含めて、言い方が難しいけれど、観客に想像する暇を与えない。脳を情報や衝撃で溺れさせることで、ダイレクトに心に響くのかもしれない。 火葬場で出会った 4 人。ヒカリ、イシ、タケムラ、イクコ。それぞれ違う事情を抱えながら、共通しているのは全員両親を亡くして涙が出なかったことだ。劇中でも、ヒカリがなぜ泣かないのか、悲しくないのかと問い詰められるシーンもある。 たしかに泣いたり叫んだりはしない。だが、目に見えるだけが感情ではない。隠しているかもしれない、本当に何も感じていないときもあるかもしれない。でも感情がないわけない。若おかみもそうだが、本当は悲しくても悲しく見えないときもある。 きっとヒカリが何も感じてないフリして、達観したフリして、俯瞰して物事を捉えるのは処世術なのだ。不幸に必要なのはユーモアだ。彼らは、降りかかった不幸を、ゲームに例え、音楽に昇華したのか。そして消化されたのか。 ポップカルチャーが消費されていく様子やスマホゾンビ、 SNS 特定警察等の社会問題に触れるシーンがある。そのあたりは率直に言えば、映画の中でなんとなく停滞した感は否めない。しかし一方で、ここまで周りが変わっても結局なにも変わらない閉塞感、現実感を示しているようにも思える。 だって写真になっちゃえば、あなたは過去になるじゃない。今にしか興味がない。いつ行くの、今でしょ。 ゾンビだし何やったって自由なのだ。そして同様に、この映画も自由である。夢を持たずに過ごすことを否定しないし、死んでるように生きてる事も否定しない。けど、走るべきときは必ずあるし、コンティニューしないのはダサって

『町田くんの世界』感想 レビュー 原作好きの僕がドタバタする町田くんを受け入れるその日まで

(C)安藤ゆき/集英社 (C)2019 映画「町田くんの世界」製作委員会 『町田くんの世界』 安藤ゆき作品はわりと好きで買っているんですが、『町田くんの世界』も全巻持っている。何が好きかと言われると言葉にするのが難しいのだけど、やはり「優しい」というのが大きいと思う。それも押しつけがましくなく、ふわっと淡く流れるように。ほっこり、しんみり、そして前向きになって優しくなれるような。どーんと元気づけるというより、染み入るとか、背中に手を添えるとか、そういう表現をしたくなる作品だ。だから今回の映画化は、好きだから期待もしつつ、好きだから嫌な予感もしていた。映画版の監督は石井裕也で、作品はあまり見ているわけではないけど、『川の底からこんにちは』は面白かった記憶があるし、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を見たときは、やっぱり優しいなと感じた。だからそんなに相性悪くないのではと思っていた。事実、良かったと思う。結構周りの評判も上々。ラストで賛否両論みたいな。ほら、よくあるじゃないですか。万人受けって感じではないけど俺は好き的作品。だけど、個人的には、今作は完全に逆パターンになってしまった…作品としていいはずなんだけど僕はそんなに好きじゃない…。 なんかなー。なんだかなー。あんまり原作原理主義者みたいで言いたくないのだが、やっぱりスクリーンに映るのが、僕が見たかった町田くんでもなく、見たかった猪原さんでもなかった。これに尽きるんだと思う。いや、僕は原作好きだけど、映画化する際は原作に準じてればいいという話ではないと思っていて。というのも、同じなら原作読めってなっちゃうから。映画化の意義がなくなっちゃうから。映画版には映画版の解釈があって、 2 時間前後で物語を畳むという制約だってある。だからあんまり言いたくないけど、やっぱりそうなのだ。 映画化するにあたって鍵となるのは、聖人君主である町田君のリアリティ問題だとは予想していた。漫画の方は本当にフィクション、ファンタジーで、基本的には平和 and 平和 and 平和であるが、やっぱりそれを生身の人間でやると難しい。だから漫画的キャラクターの聖人君子の町田くんを、悪意に溢れる社会の目線なのか、好奇の目なのか分からないけど、ちょっとなにこの人と観客に思わせるような

『さよならくちびる』感想 レビュー 大好きだから終わりにしようと思った。大いなる余白、詩的な余韻。最高の小松菜奈。

(C)2019「さよならくちびる」製作委員会 『さよならくちびる』 解散が決まったハル ( 門脇麦 ) とレオ ( 小松菜奈 ) のデュオ「ハルレオ」が、ラストライブの函館まで、ローディー兼マネージャーのシマ ( 成田凌 ) とツアーをするという話。登場人物はほぼこの 3 人。起こる出来事は、それ以下でもそれ以上でもない。だけど、なにか出来事がなくても話は進み、時は流れ、気持ちは揺れ、関係は歪む。そこにあるのは、大いなる余白、詩的な余韻。最高の小松菜奈。 解散ツアーと銘打っているわけではないけど、これで解散する空気の悪さを、全部空気で伝えていく。安易に「前はこんなんじゃなかった」とか絶対言わない。ツアーをこなす時間軸の途中で、回想シーンが挿入される。回想では小松菜奈がロングなので、髪切る前派の諸君は心でスクショすべし。僕はギターを背負っているところを永遠に切り取りたかった。 美しくて猫みたいで映ると画面の外の世界まで変えてしまうような小松菜奈は勿論、そういう存在と組んだ時の、グレーとか群青色みたいな空気を纏う門脇麦も最高である。門脇麦は画面の枠組みの中で、ちゃんと地を踏みしめて生きているので、僕らの現実と地続きになるのだ。そして、今ダメ男が日本で 1 番似合う男こと成田凌もすごくよかった。 公式サイトにも記載があるけど、今作の 3 人は皆、一方通行の片思いである。片思いであり、恋とは違う何かのような気もする。百合と言われているけど、そんな単純なものじゃないような。それでいて、自分の気持ちが伝わっても、どうしようもなく、どうにもならないことだと思ってしまっている。本当は相思相愛なはず。でも近づけない。これらは推測でしかないけど、レオがなぜハルと同じようにショートにして、同じ銘柄の煙草を吸うのか。洋服の畳み方を習ってないのかと罵られたレオがハルのカレーを食べて涙したのか、とか。ハルがなぜあの人にレオを重ねたのか、とか。だれにだってわけがある。全編通して描かれるハルとレオの対比。こういう鬱屈したものを抱える門脇麦の輝き。 正直、退屈だと言う人も、ラストについて何か言いたくなる人と思う。 ( ちなみに僕は個人的に案外歌がそんなに好みじゃなかった ) だけど、映画で流れた空気が、時間が