(C)安藤ゆき/集英社 (C)2019 映画「町田くんの世界」製作委員会
『町田くんの世界』
安藤ゆき作品はわりと好きで買っているんですが、『町田くんの世界』も全巻持っている。何が好きかと言われると言葉にするのが難しいのだけど、やはり「優しい」というのが大きいと思う。それも押しつけがましくなく、ふわっと淡く流れるように。ほっこり、しんみり、そして前向きになって優しくなれるような。どーんと元気づけるというより、染み入るとか、背中に手を添えるとか、そういう表現をしたくなる作品だ。だから今回の映画化は、好きだから期待もしつつ、好きだから嫌な予感もしていた。映画版の監督は石井裕也で、作品はあまり見ているわけではないけど、『川の底からこんにちは』は面白かった記憶があるし、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を見たときは、やっぱり優しいなと感じた。だからそんなに相性悪くないのではと思っていた。事実、良かったと思う。結構周りの評判も上々。ラストで賛否両論みたいな。ほら、よくあるじゃないですか。万人受けって感じではないけど俺は好き的作品。だけど、個人的には、今作は完全に逆パターンになってしまった…作品としていいはずなんだけど僕はそんなに好きじゃない…。
なんかなー。なんだかなー。あんまり原作原理主義者みたいで言いたくないのだが、やっぱりスクリーンに映るのが、僕が見たかった町田くんでもなく、見たかった猪原さんでもなかった。これに尽きるんだと思う。いや、僕は原作好きだけど、映画化する際は原作に準じてればいいという話ではないと思っていて。というのも、同じなら原作読めってなっちゃうから。映画化の意義がなくなっちゃうから。映画版には映画版の解釈があって、2時間前後で物語を畳むという制約だってある。だからあんまり言いたくないけど、やっぱりそうなのだ。
映画化するにあたって鍵となるのは、聖人君主である町田君のリアリティ問題だとは予想していた。漫画の方は本当にフィクション、ファンタジーで、基本的には平和 and 平和 and 平和であるが、やっぱりそれを生身の人間でやると難しい。だから漫画的キャラクターの聖人君子の町田くんを、悪意に溢れる社会の目線なのか、好奇の目なのか分からないけど、ちょっとなにこの人と観客に思わせるような、かなりオーバーでドタバタ寄りの演出だったような。まあ、エンタメ的といえばエンタメ的だ。実際に劇場内に結構笑いも起きていた。だけど、物語終盤になるにつれ、それまでの話で町田くんを知った観客の僕らは、彼のいいところも知っているので、当初は笑っていた滑稽な走り方さえ愛おしく思えて、頑張れと応援してしまう。うまいな。いや、うまいのよ。だけど、僕の町田くんはもっと紳士的でウィットに富んで落ち着いていて、もっとスマートなんだよ(誰)。
人助けエピソードに関しては、順序に違いはあれど、結構原作にも登場するエピソードだった。でも、どれも漫画の町田くんの対処はスマートなの。ドタバタしないの。風のように去るの。だいたい画鋲刺すの手伝うのにいきなり肩ぐるまはしないじゃんか。例えば、西野くんがボーリング場で知り合いに絡まれてるところだって、ただ叩かないでくてと言わずに、ちょっと一言を添える。撃退した後は、西野くんに昔の友達に悪いことしちゃった的なことまで言う。そこまで気付いてフォローするのが町田くんなんだよ。そのあと、足が速いから花束とってくるよという優しい嘘をつく。それが町田くんなんだよ。映画ではどちらかというと余裕とか落ち着きとかの紳士的部分よりも、行動力とか溢れる気持ちのほうにフォーカスされていたように感じた。
「あ!」とわざわざ大げさに驚いたりするのも、新人さん使うから抑えた演技だと演技力がわかりやすいからオーバー気味にしているのかなと勘ぐってしまう。主人公が恋を知るまでの話、まあそんなに大きな動きが出しにくいのかな、劇的にするためなのも、仕方ないのかなと思ってしまう。いや、わかるよ。わかるけどさ。でも俺の(誰)町田くんはさ、スマートなの。落ち着いてるの。(しつこい)朝起きたら「おはよう」というくらい当たり前のように人助けして、サッと去るの。たしかに悪意に満ちた社会からは、というか現実的には、そんな聖人君子はやばいやつに見えるかもしれない。きっともっと浮世離れした存在に見えたかもしれない。でも最後まさかの物理的に浮世するじゃないか。キリストが人間になる話かと思ったら最後人間やめたじゃないか。あそこをあんなにファンタジーにしたら、そこまでの優しさまでファンタジーに見えてしまわないか。劇的なことが起こらない、なんてことはない普通の世界でも、大事にしたいという気持ちで接すれば、世界が優しくなる。世界が輝いて見える。そういうことではなかったのか。なんだよ、最後にとってつけたように1巻のあの台詞言ってさ。あの「ゆっくりいこうよ」って町田くんに言われなかったから、猪原さんがゆっくりできず貧乏ゆすりすることになったんだろ。
全人類を愛していた町田くんが1人のひとを好きになる。誰にでも優しいのは時に誰かを傷つける。博愛は誰のことも好きではないのと同じなのか。誰かひとりのことを選んで好きになるのは差別ではないのか。好きがなんだ、愛がなんだ。わからない。でもわからないから知りたくなるし、わからないから美しいのだ。そんな矛盾も葛藤も超えて、君が好きだと、そんな奇跡を信じて走る。人のために生きた町田くんが自分のために走る。それをかつて助けた人が後押しする。優しさは繋がる。いい話じゃないか。そう、いい話なんだ。だからこそ、最後は現実の地続きの、延長線上に世界があって欲しかったんだよ。
結局のところ、優しい水彩画みたいな漫画の実写化を見に行ったつもりが、ほっこりするけどドタバタするちょっと社会風刺なラブコメを見せられて、なんか違うとか、見たかったものではないと壁を作ってしまっただけなのだ。でも優しさのかたちも、愛のかたちも、たくさんあることを知っている。それに、別に絶賛ではないのに、こんなに感想を言いたくなるくらい、パワーがある作品であることは間違いない。毒にも薬にもならないものでは決してなく、間違いなく誰かにはしっかりと刺さる。それがたまたま今日の僕ではなかっただけで、いつかまた、フラットな気持ちで見たときに、ちゃんとメッセージを受け止めることができるかもしれない。だからその日まで。
「ゆっくりいこうよ」
ま、こういうのって、他人に言われるもので、自分で言う台詞ではないんですけどね...。
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