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『マイ・ブロークン・マリコ』感想


『マイ・ブロークン・マリコ』

 

あんたは何も悪かない。

あんたの周りの奴らが、こぞってあんたに自分の弱さを押し付けたんだよ

 

原作が好きだったのもあるけど、めちゃめちゃに泣いちゃった。かなり良かった…。もはやこの映画に泣いているのか、「マイ・ブロークン・マリコ」という物語に泣いているのかわからなかった。そのくらい忠実な実写化だったと思う。永野芽郁が啜るラーメンのひとくちの量、ひび割れたスマホ、マリコのアイコン。最初の数分で、この映画は大丈夫だと思わせる原作への愛と信頼。

 

正直、この物語のハードボイルドな主人公に永野芽郁ちゃんは可愛らしすぎないか…?と思っていたけど、豪快な食べっぷりに、擦り切れつつ絶妙に無理してる感が生々しくて、まさにシイノを生きていた。多分もっとハードボイルドが似合うひとはいるけど、そうするとブラック企業で若手社員やってる感や、無茶して突っ走ってる感が薄くなるという難しさがあるので、やっぱり今に実写化するなら永野芽郁が主演で良かったなって思う。(それはそれとして、特にクライマックスと高校生回想編の永野芽郁ちゃんは可愛すぎるのだけどな!) 

可愛すぎるだろ...


お別れはいつも突然に訪れるけれど、マリコとの別れはあまりにも唐突だ。誰からも連絡なく、親友だと思ってた人物の死をニュースで知る主人公シイノの辛さはどれほどだっただろう。なんでこうなっちまったんだ、なんで言ってくれなかったんだ…。だけど本作は、そのなんでを、マリコの死んだ理由を探す話ではない。残された者が、去ってしまった者にどう向き合い、いなくなった世界でどう過ごすのかという、弔いの物語である。

 

届かなかったと感じるのは、手を伸ばし続けていたから。

 

シイノは何度も何度も、どうしようも無いその境地からマリコを救おうとした。だけど、マリコは何度も何度もその境地に戻ってしまう。あんた感覚ぶっ壊れてんじゃねえのと叫んでも、そうだよぶっ壊れてるのと返されてしまう。どうしたらあんたを救えるか、その願いはついに叶わなかった。イカガワマリコは亡くなった。それだけが変わらない事実で現実だった。

 

シームレスに回想と現在を行き来しながら、シイノはマリコのことを思い出す。小学校、中学、高校、社会人、、、。記憶のなかのマリコは明るいものだけではなかったはずなのに、それもいつか擦り切れて消えてしまうのか。美しくて楽しいものしか残らなくなってしまうのか。なんでそんな顔をするんだよマリコ。面倒くさいやつだったよ。でもあたしにはあんたしかいなかった。だからって、あんたが感じた痛みや悲しみまでなかったことにされたら悔しいじゃないか。

 

対面で話す感じと、手紙で相手に話す感じは、言葉とかテンションとか勢いとかがどこか違う。マリコはシイノによく手紙を書いていた。くだらないことや直接言えないことを手紙だと伝えられると言っていた。マリコが書いた手紙、シイノのモノローグ。思えばこのふたつは、発した言葉にすぐに反応がされないという点で、同じ意味だったのかもしれない。もう帰ってこないLINE、もう帰ってこない返事。それでも言葉をマリコにかけ続け、自分にも言葉をかけ続ける。シイノのモノローグはどこか作り物っぽい。それは自分と受け入れ難い現実を切り離して振る舞っているように見えたし、きっとそうするしかなかったのだ。

 

シイノとマリコの友情や愛をも超えたような、魂の繋がり。ふたりだけの世界。彼女たちはわかってくれとはたぶん絶対言わないし、わかってたまるかよくらいに思っているかもしれない。お互いにお互いを必要としていたけど、お互いとその想いが揃った向きで発せられ受け取られた瞬間はなかった。あんなに大切だったのに。外から見ていると色々思ってしまうことはあるけど、多分そこに他者が何かできることはない。鑑賞者である僕らは、財布と携帯をリュックごとひったくられたシイノを助けたマキオになることしかできなくて、むしろ大抵の場合はマキオにすらなれない。そしてそんなマキオも、もちろんシイノもマリコも、この85分じゃわからないほどの何かがあっただろうとは感じさせるし、たぶん何かが奪われている。奪ったのは誰か、壊したのは誰か。そしてきっと、そんな彼女や彼と近い状況のひとは、至るところに存在するのだ。寸前のところで耐えながら、必死に今日を生きている。大丈夫に見えるかよ

 

ひとは簡単に死んでしまうし

ひとは案外簡単には死ねない

 

でも、

大丈夫に見えますよ。

 

ふたりだけの旅が終わったからといって、何かが劇的に変わるわけではない。お腹はすくし、洗濯物は取り込まないとそのままだし、怪我は少しずつ治るし、仕事には行かないといけない。そうやって日常に戻っていくのだ。あんたのいない日常に。

 

なあマリコ、あたしはボロボロだけど大丈夫だよ。だから、私の中で笑ってくれよ、生きてくれよ。

 

死者に対して、いやそもそも誰かに対してできることなんて限られている。僕は原作に補足するような映画オリジナルのシーンが好きだ。そこには、大丈夫に見えてボロボロで、ボロボロに見えて大丈夫。ひとは脆いけど逞しい。壊してくるやつらに怒りをぶつけつつ、それでも立ち続けるひとへの優しさあたたかさを感じるのだ。大切なひととのことをちゃんと覚えていれば、この恩なんて覚えていても覚えていなくてもいい。でもその手が、誰かを救おうと伸ばして、それでも救えなかったその手が、別の誰かは救うかもしれないことを、私たちは知っている。そうやって私たちは生きている。

 

すべてのシイノとマリコとマキオに。

 

 

以下、言い足りないこと箇条書き(微ネタバレあり)

 

・奈緒さんがこういう感じの役をやるのはやばい(知ってた)

・奈緒さんに色々な意味で心奪われたひとは『君は永遠にそいつらより若い』もチェックしてくれよな!

・窪田正孝によって実体を伴うマキオ

・このひとにも何かあったんだろうなと秒で思わせる吉田羊

・年齢的にも近い生身の人間が演じることで血が通い、それゆえに傷口や繋がりが余計にジメッとする

・原作より疾走感は控えめになったが、その分余韻が凄まじい

・ただこれも原作既読ゆえの下地が出来ているからかもしれない

・偏愛で瞬間風速で優勝かも

・マジでパンフが充実

・シイノ子役の佐々木告さんの煙草の感じが超シイノ

・原作にはないお弁当のシーンが好きすぎる。シイノがすぐにマキオの恩をすぐ忘れそうな感じがする雑な手の振り方が最高


↓テーマ的にも近いと思うのでぜひ


君は永遠にそいつらより若い

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