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映画『ひらいて』感想

(C)綿矢りさ・新潮社/「ひらいて」製作委員会



 『ひらいて』


夕立ダダダダダッ…踊る山田ダダダダッ。学校でダンスを踊るのはリア充だと相場が決まっている。ましてや、そのセンターで踊る女の子なんて、推薦も確実と言われるような女の子なんて、体調崩したひとにいち早く気がついて駆けつける女の子なんて、絶対いい子に決まっている。だけど、そういう殻を剥がして、本当の自分をひらく映画だったのかもしれないな。心と身体を"ひらいて"

 

あらすじとしては、そんな成績もよくて、明るくて目立つタイプの愛ちゃん(山田杏奈)は、同じクラスのたとえ君(作間龍斗)に想いを寄せていて、その魅力は自分だけが知っていたと思っていたのに、実はたとえ君には秘密にしてる恋人がいて、それが病気がちで目立たない美雪(芋生悠)だとわかり、だったら攻めるべきは好きなひとの好きなひとと言わんばかりに美雪に近づいたら、結果的に好きなひとと、好きなひとの恋人を口説き落とそうとしてるみたいになって始まる歪で禁断の三角関係ってなんじゃそりゃ!

 


ひらいて (新潮文庫) [ 綿矢 りさ ]


映画を見るにあたって原作を読んでから臨んだけど、いやあ素晴らしい実写映画化だと思います。結構原作と違う点やオリジナルなシーンもあるのに、最終的に「わりと原作通りだったな」と感じるくらいに、手触りが全然変わらない。何より、原作では主人公である愛ちゃんの独白というか一人称視点で進むのだけど、彼女の気持ちの移り変わり…というか葛藤や心の混濁を、よくモノローグとか台詞無しで描き切ったな!という気持ちだ。この方向性で行くと決めた首藤監督も、応えた山田杏奈さんもすごい。視線というか目力で全部伝わってくる。正直全部は全然わからない。けど、"わからない"がわかるみたいな。なぜなら、たぶん愛ちゃん自身もこの気持ちと行動の不一致をよく分かっていないから。そんなわからないものをわからないまま投げつける潔さ!僕は好きです!


思えば、愛ちゃんはかなり潔い子である。好きな子に話しかけるキッカケ作りのために、階段からゴミ箱を落とす躊躇いの無さ。好きな子が恋人から受け取った文通を盗むため夜間の校舎に忍びこみ、転落のリスクを冒しても危険な道を突き進む行動力。それは本当に好きな子に真っ直ぐで、ただその真っ直ぐ進んだ先の道がちょっと逸れているというだけで。今まで器用に生きてきたけど、初めて思い通りにならないことに不器用になっているのかもしれない。器用に生きてきたからこそ、はじめての感情を持て余しているのかもしれない。共感されない主人公だとは思うけど、原作と映画と愛ちゃんを見てきた僕は、もう彼女が愛おしいです。べ、別に山田杏奈さんが超絶可愛いからってわけじゃないんだからね!


この暗黒さ、ヒロインが纏うオーラではない


綿谷りさ原作の映画だと、『勝手にふるえてろ』とか『私をくいとめて』とか、ウダウダ悩む拗らせた感じの主人公のイメージがあるが、愛ちゃんは拗らせてるけど多分基本属性がパワフル。まあこれは若さ故の全能感かもしれないか。もう最初のほうで、このひとなんかヤバイやつ!(僕の心の)ヤバイやつ!と一目でわかるジュースのシーンが最高。それに、たとえ君を見つめる目が恋する乙女ではなく、完全に獲物を狩る目つきだったのも最高。黒い部分に闇の感情をこれでもかと詰め込んだ瞳から目が離せない。逃げられない。

 


僕の心のヤバイやつ 1 (少年チャンピオン・コミックス)

 ヒロインの名前が山田杏奈!同姓同名!


そんな最高の山田杏奈と共演したのは、あくまで個人的にだけど、かなりイメージ通りのたとえと、別アプローチから生きていた美雪。

 

まず、たとえ君を演じた作間龍斗くんはかなりイメージ通りだった。

いや、マジで手足が長いんだわ。そしてその長い腕を所在なさげに持て余しているところから、心がひらかれていない感、行き場を無くしている感がビシバシ伝わりますね。加えて、誠実そうなのにいい具合に何を考えてるか分からないミステリアスな雰囲気が、たしかにこの子ならLINEの時代に文通でやりとりしそうだし、誰かと付き合ってることを隠すのめちゃめちゃわかるとなります。博愛主義的にみんなにフラットに接するのではなく、誰にでも対等に壁を作るという意味での平等というか。病気を抱えてる子の恋人と聞くと、いいひと感が薄いのに、クラスに全然友達がいない美人の子の恋人と聞くと、まあわかるとなる、危うさと納得が同居してる佇まい。


あと、なんというか、イケメンに痛いところを突かれるとダメージがデカいですよね。上手く言えないけど、方向性として言い返しやすいタイプのイケメンと、反論する前にこちらが謝りたくなるタイプのイケメンがいると思うんですけど、劇中の作間くんは後者に感じたので、もうグサグサにやられて厳しい。


この温度感が愛ちゃんとは並ばなさそうだと思える配役の絶妙さ。同時に、愛ちゃんとの心の距離がそのまま現されたみたいな身長差もとてもよかった

 

そして、美雪ちゃん役の芋生悠さんは原作の美雪かと言われたらたしかに少し違うんだけど、別の方向から肉付けされて、映画の美雪ちゃんになった印象。美しさというより清らかさを感じるし、いい意味で純朴さと俗っぽさが足されている。それでいて、こう絶妙に友達が多くなさそう。不思議ちゃんというカテゴライズはあまり好きではないけれど、芯の強さと包容力が高校生離れしている。本人はたぶん悪くないんだろうと思わせる善のオーラと、あまりに善が表立つので、逆にそれがどことなく不穏さを纏ってる気がする。深すぎる献身は怖い的な。

 

第一ボタンまで留めるタイプ


この映画は共感を求めない。愛ちゃんの行動原理はめちゃくちゃで、なんであのときあんなことしちゃったんだろう…が続いていく。しかし、思ったことと違うことをしてしまうことは、誰しも経験あるのではないだろうか。嬉しいときに喜んで、悲しいときに悲しむ。そんな風に思いと行動が一致できるなら、どんなに楽だったかな。

 

これは単なる恋愛映画とも、地獄の拗らせ映画とも思わない。強いて言うなら、暗黒青春成長譚だろうか。真っすぐに進んで、他者に触れて、自分を愛すこと。注がれる愛を受け入れるにも、まずは器をひらかなくてはならないんだ。青春で折れた跡も、生まれた傷も、きっと完全に消えることはない。でも始まりが暗黒だって、あの瞬間に流れた時間も溢れた感情も、たしかに本物だった。願わくは、みんなそれぞれがいつかこの頃振り返って、悪態をついていたらいいな。そして今まさに黒い渦に呑まれているひとが、いつか悪態ついたらいいんだと思えたらいいな。

 

恋がしたい

恋がしたい

恋がしたい

さいあく

 

『ひらいて』 - 大森靖子

 

 

以下、ネタバレあり。

 







原作でも愛と美雪とたとえが今後どうなったのかはわからない。愛が大学どうしたのかも、美雪がたとえについていくのかも、そもそもたとえが東京に行くことを許されたのかもわからない。でも、たぶんこの時間を生きた者達にとっては、その先のことなんて一旦はどうでもいいのだ。たしかに、あの瞬間にひらいたということがあればいいのだ。だって今日は"卒業式"だから

 

なぜ好きな子の恋人である美雪に執着したのか、については推測するしかないけど、好きな子の好きなものが気になるという感情はあるあるだと思う。そして、たとえに愛が選ばれていないということは、たとえに選ばれている美雪は、愛が持っていないものを手にしているわけで。つまり愛と美雪は決定的に違って、その違いは嫌悪にも魅力にもなるのではないかと。

 

セックスのあとに念入りに手を洗うシーン、心が求めるものと身体が求めるものがズレている、アンビバレントな感情を持て余しているようで非常によかった。心を満たされても身体が満たされてなかった美雪に、心が満たされていなくても身体から先に動ける愛。真っ直ぐ突き進む愛と、真っ直ぐ受け止める美雪。違うふたりが触れたことで、同じ”真っすぐ“が共鳴して、互いに補完するように満たされていく。

 

愛とたとえは多分最初からお互いが分かろうとしなかったのだと思う。まあ、たとえサイドは興味なかったら仕方ないかなという気もする。だけど告白…ではなく脱衣によって愛の身体がひらかれたので、会釈される関係になり、たとえは愛とたとえ父を共有することで心がひらいた。だからあの桜の下で初めて目が合ったんだ。

 

冒頭のダンス途中離脱も、最後のたとえ家突撃も、愛がぶどうジュースを地面に捨てているときは、打算とか関係なく美雪を助けようとしてる時なんだよな。あの行動を起こせるところが愛ちゃんのいいところ。そしてあのあと、完全に3人で仲良しみたいな風になるわけではないところに、この映画が持つ人間らしさが溢れている。

 

屋上でかつての友達と振った男に心配されたときの表情もすごかったね…。前半ではヘアアイロンで丁寧に真っ直ぐにしたあと嘘みたいな笑顔を鏡の前で作っていたけど、あのときの愛ちゃんは髪はボサボサになって、諦めにも見た笑顔に見えた。心から好きになって身体を重ねるのは純愛と言われるけど、身体を好きになってから心を重ねるのがそう思われづらいのは何故なのかな。

 

愛ちゃんの爪がボロボロになって、かつてはカロリーを気にしてお菓子を食べず野菜ジュースを飲んでいたのに、ガツガツとマフィンを食べるシーンで泣いちゃった。あの顔も解釈分かれそう。母親が全然干渉しないのを、親の無関心と捉えるか、自分の問題は自分で解決しろという愛と捉えるか。どうでもよくなってもお腹は空くし、誰かが誰かを思って作ったものは美味しいという普遍の事実に気づいて安心したようにも見えなくもなく…

 

あと愛ちゃんの目覚ましアラーム音がわりとウケる。完全に警報じゃんあれ。

 

うまく言えないけど、カラオケであいみょんを歌っていた女の子が突き進んだ先に流れる主題歌が大森靖子さんのいうのは、なかなかグッとくるものがあります。

 

 

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