『街の上で』
-感想編-
「誰も見ることはないけど、確かにここに存在してる」
そんな仕草や気持ちを集めて流れる時間が描かれた映画だった。そんな日々が大好きだった。この映画が終わらなければいいと思った。そして、この先も彼らの彼女らの日々は続いているんだとも思えた。傑作を越えた好き。というか、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚が揃って傑作じゃないわけないのよ。
誰かを〇〇みたいと表現する失礼さを自覚してはいるけど、あえて言うならば、本作には個人的にウディ・アレンのような貫禄を感じた。しかし監督のインタビューを読む限り、意識したのはアキ・カウリスマキとのことだった。大いに見当違いじゃん。お恥ずかしい...。
一応言い訳をすると、『それでも恋するバルセロナ』などの後期ウディ・アレン的に、街を舞台に主人公の男性の周りに魅力的な女性が登場して、特に劇的な大きな展開はない(ネタバレになるから言わないけど着地点の距離感的にも)とことか、流れる時間が愛おしくて会話がいちいち面白い点とかに少し感じるじゃないですかあ。ただウディ・アレン的登場人物(雑)に比べて、『街の上で』の登場人物のいわゆる面倒くささというのは、ひねくれていない面倒くささというか、いや、ひねくれてはいるけど、真っ直ぐな不器用さみたいな感じですよね。うん。
僕は小田急線ユーザーなので下北沢には多少縁があって。住んだことはないけど、一時期古着屋さんに特に買うわけでもなくプラプラはいっていた時期もある。迷惑な客だな。生活拠点ではなかったこともあり、あんまり飲んだことはない。チェーン店じゃない居酒屋って憧れていたな。カレー屋さんでは「ムーナ」、ラーメン屋さんでは「鶏そばそると」がお気に入り。
だからか、昨今の都市開発による景観の変化は、ワクワクがないわけじゃないけど、率直なところ少し寂しい気持ちはある。まあ住んでないので文句は言えない。とはいえ、僕が通っていた頃は2006年から2010年過ぎくらいまでの期間だったけど、そのときはそのときで、もっと前から下北沢が好きだったひとからしたら、変わっちまったな…という感覚だったのかもしれない。
街は変わっていく。だけど変わってもなくなっても、そこにあった事実は残る。
この映画は「下北沢を舞台に映画を作る」というオファーが元なので、下北沢から外に出ない。最初から最後まで下北沢にいる、色々な意味で狭い世界で完結する話である。登場人物の衣装から佇まいから醸し出され漂う“ザ・下北沢感”。そして登場人物の長髪男率。そうそうこの感じこの感じ。そういえば、下北沢ってスーツを着ているひとがいないイメージがありますね。
座る位置、コップの距離。たぶんそれだけじゃない色々な仕草に、人柄やリアリティが宿っている。たとえ監督の緻密な計算のうえに成り立っている物語だとしても、鑑賞している間は、登場人物たちが自然に話して行動しているように思えてくる。それどころか、実があの時、彼らとすれ違ったり、同じ古着屋で物色していたりしたのではとすら思える。
若葉竜也の役名が仲原を思わせる「青」だとか、成田凌の役名が、ホットギミックに「間宮」という遊び心。たしかに成田凌って言われれば言われるほど間宮顔してる。
『街の上で』今泉監督の映画、どの気まずさも、むずがゆさも、ああこれ自分のものだ…と思える。鑑賞中に思わず苦笑いしたり大きく息を吸ったり頬をかいたり座り直したりしたくなる映画No.1だった#街の上で pic.twitter.com/rxr0XQMFUV
— オガワヘヴンリー (@k_ogaga) April 9, 2021
張りつめているとも緩んでいるとも違う、独特な空気な。それでいて自分の話にも感じるのに、友達の友達の話を聞いているときの感覚にも似た距離感がある。なんだろうこれ。その空気こそ魅力と言われたらそうなんだけど。リアリティがあるのにリアリズムがないというか。どこにでもあり得そうな話なのに、夢があるのが良いのかもって思ったり。
好きだけどつまらない。居心地がいいけど友達みたい。もしかして好きなのかも、こうしていれば違ったかも。そんな曖昧に揺らぐ気持ちや矛盾を抱えてもなお、落ちてしまうのが恋なのか。
気持ちが変わっても、関係性がなくなっても、好きだった事実は残る。
変わりゆく街と、そこで時を刻んだ証。特別なにも成長していなくても、狭い世界から飛び出さなくても、そこで生きているだけで特別なんだ。日々は情けなくて滑稽で、だけど愛おしくてドラマチック。人生を大きく変えるような作品ではないかもしれないけど、帰り道の景色がちょっと明るく見えるような、胸にしまっておきたい作品になりました。
変わりゆく、というのは避けては通れないなと思って、映画を見た次の日にロケ地にもなった「珉亭」行った。『愛がなんだ』の居酒屋には間に合わなかったので。Time waits for no oneだよ。
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131802/13001826/
-城定イハについての妄想-
※ネタバレあり
いやあ最高でしょ城定イハ。大好きだよ城定イハ。最高の中田青渚。言い方に語弊があるけど、中田青渚さんの天性の才能(間合い?)に任せてる感が大好き。好きです、付き合いたいです、恋バナを聞かせてくれるだけでもいいです、グレーのchampionのTシャツを着てふらっと現れてくれるだけでもいいです…
まず、ぽつんと寂しそうにしているところに、ぽんと隣に来てくれるのが100点。同じのくださいで日本酒2合頼むのも良い(これは青がわるい)居心地が悪い環境でも、なんとなくひとりで過ごせる青と、なんとなく声をかけるイハの対比が良い。やっぱり関西出身だと抵抗ないんすかね。という大いなる関西圏への偏見ムーヴ
城にとんかつ定食の定でイハ。定食ではなくとんかつ定食の生活感。城定監督と言うってことは映画は好きなのだろうから、いやそもそも映画製作に協力してる時点で好きなんだろうけど、少し町子たちとは方向性が違うのだろうな。
僕は、イハの青に対する気持ちは“友達”派です。
アウェーだからホーム行きましょうってマジのホームなんすか。超びびる。映画製作に携わっているとはいえ、やっぱり衣装担当と映画を撮影する側って距離あるんすかね。たしかに全然引き留められてはない。関西弁なところをみても、上京組か否かでもアウェー感ありそう。ここに来て何年?の問いに対するアンサーでちょっとそう感じた。地元に1人だけめちゃめちゃ仲が良い友達がいそう。ってそれ、『君が世界のはじまり』の琴子やんけ。
イハ自宅での一連の長回しの会話が最高なのは共通認識だとは思うけど、ほんとコップの位置な。最初は机ぎりぎり自分の一番近いところに置いてあったけど、だんだん盛り上がってくると真ん中のほうになりますよね。「聞かんでええし」の破壊力。まるで破壊光線。僕は塵になったよ。一回噛んだのにそのまま続けたのも最高だった。
雪と青が会話するときは雪が上で青が床だったけど、イハと青はお互い床で目線があっている。だからこそ、雪に対して上から目線だと感じるんだろう。
お酒じゃなくてお茶で延々と会話しているのもいい。ある程度年を取って思うのは、ノンアルコールの状態のほうが思い出深い夜もあるということです。これは僕がお酒をあまり飲めないからというのもあります。お酒飲むとあんまり覚えてないんですよね。眠くなるし。
日本酒飲んでいる時点で弱くはないはずなので、もうガチで会話したいやつです。純粋に人間としての青が気になったのだと思う。そりゃ演技全然だめで採用されないと言われたのに打ち上げ来るんだもん。イハが青に近いフィーリングを感じたのであれば、結構巻き込まれ型なのかもしれないし、巻き込まれないように素直な物言いをしてる感がある。
曖昧に濁さないことが優しさだとも感覚的に理解していて、ぽんと言語化していく。ふと思いましたが、“ぽん”っていう繰り出し音が似合う子ですね。いや、“ぽん”めちゃめちゃ似合うじゃん。だからこそ、二番手コレクターの我々は、好きな人の前では素直に気持ちを“ぽん”と伝えられないイハが見たいんですよ。ええ。
最後の表情は、もうなんとなく「友達」ではいられない、いや、いられないことはないけど、いづらいという感じなのかなと思います。映画製作が終われば接点はなくなるし、青が雪と順調な状態では誘いづらい。それでいて青はすぐに本に戻ってしまう。いやああの服装のイハ最強だったな...。
男女の友情は僕も成り立つとは思うけど、それってわりとそこに関係するひとたちみんなが、その感覚を持ってないと実現しないですよね。実現しないというか、揉める。雪とかめっちゃ揉めそう。
少し話は逸れるけど、特に何もしてないけど元サヤになった雪、結果的にそれぞれの過去の男から救った形になったけど進展はしなかった田辺とイハ、映画出演を求められたけど助けられなかった町子、という対比が面白い。
あとは、2番目の彼氏が、五叉路さんから役を奪った関取なのかというところだけど、まああり得そうっちゃあり得そう。合鍵もってる金髪といい、結構強めの彼氏の系譜なので。わかる、ああいう子に限って彼氏強そうなんだよ。でもオタクはああいう子が好きなんだよな…需要と供給のミスマッチですよ。もっとも、この場合は単に需要過多なだけなんですけどねえ。
流れてくる感想見てても、みーんな城定イハのこと好きになってるもん。完全な過多ですわ。
君が世界のはじまり
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