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『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想垂れ流し 0%で無限大

 

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『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||



ネタバレあり。ライトなファンの備忘録。



エヴァが終わった。いやあほんとに終わった。マジで終わった。終わると言いながらやっぱり終わらないんじゃないかと思ったら本当に終わった。公開直後に「続編の希望は残っているよ。どんな時にもね」なんてツイートしようと思ってたのにそんなこと言えないくらい綺麗に終わった。途中からこれ本当に終わるんだ…って気づいてしまうくらい強く気持ちで終わった。Qから本作までの9年間、まるで気持ち悪さが濾過されたみたいに綺麗に澄んだ水のように流れて終わった。

 

ライトなファンである僕は綺麗にまとまったな! 痛みに耐えてよく頑張った! 完結したッ! みたいな気持ちでポジティブに捉えられたけど、次男だったら耐えられなかった説はある。それに、遥か古よりエヴァンゲリオンを愛したヲタクの皆様が満足(というか成仏)できているのかは少し気になったりもした。エヴァにサグラダ・ファミリア的魅力、終わらない青春を見出していたひとは大丈夫だっただろうか。だって、そのくらいこれ以上なく結論を出して終わったから。乱暴な言い方をすれば、それはある意味凡庸で、まるで神話になることをやめたようだったけど、至極真っ当で誠実なエンディングだったと思う。

 

僕がエヴァを見たのは20歳を過ぎてから。それまでは名前は知ってる、「逃げちゃ駄目だ」の台詞だけ知ってる、エヴァをロボットと言うと怒られるのは知ってる、エヴァってガンダムですか?と聞いたらもっと怒られるのも知ってる程度の認識だった。

 

なんかいい機会だからと『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の公開のタイミングで手をつけて、そこからTVシリーズと旧劇場版を見た。20歳で見るエヴァは、シンジくんマジ思春期思い出し黒歴史ー、だけど大人にもなりたくねー。みたいなモラトリアムな感じで摂取して、とにかくエネルギーは感じて、"なんだかわからないけど"面白い!とか、"なんだかわからないけど"すごいものを見せられてるとか、そういった類の感情を抱いた記憶がある。むしろ、わかるんだけどわかりたくない、わかってほしいけどわかってほしくない。が近かったかもしれない。

 

さて。今回の新劇場版の完結編だけど、そんな今までのエヴァの感想とは違って「なんだか分かるし面白い」という感じだった。もちろん全部分かったわけではない。シンプルながら難解だし、解説しろと言われたら困る。普通にわかんないところはまあまあ沢山ある。だけど、シンエヴァは、わからない気持ちよりも、なんだかわかった感があるのだ。

 

それはきっと、登場人物みんなが怒涛の説明および心情吐露大会だったから。さながらセラピーで、終活で、お別れの挨拶で。アスカもゲンドウもミサトさんも。終盤ひとりずつシンジが話すときの既視感は、たぶん卒業式で卒業生にひとりずつ感謝とか思い出とかをコメントしていくアレだったと思う。ほんともう卒業式よ。38日公開だったのもタイミング的にバッチリよね。

 

ミサトさんにちゃんと見せ場があってよかった。ミサトさんが、躊躇してチョーカーを爆破出来なかったらミサトさんが、シンジくんに対してあのくらいのことを考えているのは(希望的観測含め)わかっていた。QTV放映されるたびに「行きなさいシンジくん!」の台詞をネタ的に掘り返されて心痛めていたひとは多いはず。でも誰よりもミサトさんの心に引っかかっていたのよね。最後はちゃんとシンジの上官であり保護者だった。そしてリョウジの母だった。キスより愛に溢れたハグがある。(気合い入れる時に髪を解くの格好いいよね。物理的には入れるときに結んだほうが効率良さそうだけど、そういう問題じゃなく格好いいよね)

 

細かいディテールは置いておいても大筋は掴める設計だった。製作陣の誤読させないぞという強い意志を感じるくらいに。少しばかり全部親切に言葉にしなくても、とは思う。だけど、これは彼らがちゃんと気持ちを言葉にする物語。シン公開までの長い年月は、言葉にできるようになるまでに必要な時間だったし、たぶん受け取り側も受け入れるのに必要な時間だった気もしている。

 

全部言葉にした。カップリングすら見せた。ある意味でエヴァ人気のひとつであるヲタクたちの考察(妄想も陰謀論も含む)を封じ込めるというか、やりようがないくらいの、明確な解の提示。そうでもしないと終われなかったし、そうしたからこそ、ちゃんと終われた。

 

個人的に、僕はこのタイミングでは結ばれないとわかりながら「好き」というシチュエーションがとても好きで。だからアスカのあのシーンでかなり泣いた。本当はふたりともわかってるんだろうし、伝わってるんだろう。でも無かったことにしないで、自分で言葉にする尊さよ。アスカ、幸せになってくれ…。最高の"だった"だった。リターンの"だった"も良かったな。あの波打ち際。EOEからのアンサー。「気持ち悪い」のやり直し。プラグスーツも赤に戻ったアスカめちゃめちゃかわいい!じゃなくて、いやかわいいんだけど、呪縛から解き放たれて14年分の歳をとったってことだよね。だからプラグスーツが破れてたんだよね。あのシーン、ポスターかなにかになんないかな…

 

そういえばアスカといえば、シンジにカロリーメイトみたいな食べ物を無理やり食べさせるときのアニメの揺れと臨場感がやばい。めっちゃ動く。実際のアクションをハンドカメラで撮影してるみたいな感じ。まあそんなことより、えアスカはクローンなの? 式波は作られた個体なの? え、使徒化するの? え、ケンケン? みたいな感じだったので正直追い付けてない。今思えばケンケン、生活拠点を案内するのって破の加持さんの役回りよな。えー、そうか、髭かあ髭なのかあ? アスカ、幸せになってくれ…。

 

トウジと委員長が結婚したのを見て、両思い同士だったシンジとアスカもそうなった世界線もあったかもしれない。14歳くらいの頃に好きだった子が、自分が疎遠になっている間に誰かとくっつくのは何とも言い難い物悲しさあるよな。全然赤の他人ならまだしもかつての同級生かっていうモヤモヤ絶対あるよな!

 

僕はずっとアスカが本編でいちばん他人っぽいから(あとかわいいから)好きだったけど、よく考えればいちばん他人というか異分子なのはマリだったのか。

 

14年。シンジくんは時間からも記憶からも取り残されてしまった。14歳のまま成長しない身体と、14歳のまま止まってしまった精神。昔の同級生やミサトさんたちもみんな遠くに行ってしまった。それってゲンドウやユイと同じ時代を生きたはずなのに、取り残されてしまったマリも同じなんだ。

 

「少年よ神話になれ」と歌った物語から、「少年よ大人になれ」と言われたような気がしたのは分からんでもない。でもそれが100%だとも思えない。だって、そうだったら寂しいじゃない。創作の素晴らしさがなかったことになったら寂しいじゃない。多くの過去作特撮オマージュと、突破口を開いた槍が元々あったものではなくヴィレが創り出したものだということに、僕は愛と前向きなメッセージを信じたい。

 

シンジくんが過ごした空白の14年間ともっと前。それはなかったことにはならなかった。消えたりしない。

 

アヤナミレイがあの村で生きて、プラグスーツをまるでウェットスーツかの如く着用して汗水流した。他者と助け合い懸命に生きることの素晴らしさを教えてくれた。(あれは笑うとこなのかは迷った)(教育番組かジブリかよとも思った)お風呂は命の洗濯。洗われた綾波が繋いだ縁に救われたシンジくんは、そのひとたちの生活を虚構=エヴァで守ったんだ。そして綾波が望んだ「碇くんがエヴァに乗らなくてもいい世界」になったんだよ。

 

「古今東西すべての本を読むのが私の叶わぬ夢。」いくら叶わないとしたって、虚構だとしたって、夢をみるくらい別にいいでしょう? 日々があるから夢を見て、夢があるから日々を送ることができる。これは現実と夢の補完計画。

 

さらば、全てのエヴァンゲリオン。

さらば、全てのエヴァンゲリオンになれなかった子供達。

 

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