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『花束みたいな恋をした』感想ブログ 麦と絹と僕

 

(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員会


『花束みたいな恋をした』


総合:★★★★★

今年の優勝候補。

 

 

 - 感想 - 

 

はじまりはおわりのはじまり。

 

20世紀少年の話ではないです。『花束みたいな恋をした』の話です。出会いとは、別れに向かって進む道の始まりで、それ故にその限りある幸せを楽しむしかないのです。

 

これは運命的に出会ったふたりの、ハッピーエンドのその先のお話。ですます調なのはもうお前ら超超いい感じやんけ状態の時の丁寧語会話が初々しいのとそんな感じで話してしまうのわかりますなので使っています。ただ、やっぱり慣れませんね。やめぴです。

 

固有名詞で彩られた台詞、舞台や衣装で象られた登場人物。その味付けが、とんでもないリアリティを感じると同時に、眩いばかりの夢物語にも思える。だって実際にあんな考え方や言い回しをできるひとなんていないのだから。あの登場人物たちは坂元裕二の目線で世界を捉えているのだから。どこか現実離れした浮遊感。でも、どこかにこんなふたりいるかもなと思えるリアリティ。リアリティがないのにリアル、というか分かる。リアリティじゃなくワカリティ。

 

明大前で終電を逃した大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)。ビールと冷奴くらい相性ぴったりな名前のふたりは、ひょんなことから神と遭遇し、趣味が合うことに気づき意気投合する。居酒屋でサブカル談義に花を咲かして、夜の散歩に繰り出していく。

 

コンビニエンスストアで350mlの缶ビール買って

『クロノスタシス』 - きのこ帝国

 

超つら恋愛映画『愛がなんだ』ではテルコが金麦、マモちゃんがプレモルだったけど、今作のふたりはアサヒスゥパードゥラァァァイで、そこも本当にそれっぽい。まあサッポロでもいけそうだけどヱビスはなんか違う。


『愛がなんだ』...リスペクト?

劇中のふたりは、きのこ帝国を歌い、宝石の国を読む。これは僕の話だと思った。僕は本当は菅田将暉なのかもしれないと思った。

 

みんな言っているけど、これは日本版『(500)日のサマー』なのだ。オータムに出会った状態から過去を振り返る形ではじまる、まさに終わりに向かっての旅路。2015年、運命のように出会ったふたりが、花束みたいな恋をして、別れるまでの5年間。偶然元恋人に出くわして向こうの会話が異常に気になって聞き耳たてる感じが鮮やかに表現されたカフェのシーンで期待値は一気に高まったことをおぼえている。

 

普通の映画だと台詞はちょこちょこ引用しつつも結末には触れないみたいな紹介になるけど、今作は台詞のほうが触れづらい。そこがいちいち面白いし、固有名詞の情報量が多くてもはや覚えきれていないというのもある。

 

小道具の使い方も印象的だ。イヤホン、先に進めないゲーム、パズドラ。なんか暗黒面を紹介してもアレなので、僕がいちばん好きなシーンを紹介する。


 

有村架純がこんなにサブカルなはずない。という気持ちは少し分かる。いや、でもさ。例えば、あまちゃんで誰がいちばんこの役か?と言われたらやっぱり有村架純だと思う。橋本愛と能年玲奈はガチすぎるし。あとは、例えば菅田くんと多くの共演をしている小松菜奈だと、なんかサブカルとはまた違うベクトルのものを好きになりそう。

 

たぶん、親密になるにつれ相手とパーカーの色まで似てくる絹がパブリックイメージの有村架純で、案外体温が低い絹もまた有村架純。なんとなく有村架純って本当に嬉しいとき顔にでなさそうというか、わかりやすく感情表現しなさそうじゃない?こう見えてとても喜んでいます的なシーンは本当に良かった。このあたりは有村架純の撮休を見た先入観かもしれない。

 


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花束みたいな恋。花束って、貰った瞬間がいちばん輝いている。麦が、人生の目標は君とのラブストーリーそれは現状維持なんて呑気に言ってた(前半は言ってません)けど、花束を現状維持するのって不可能なんだよ。花も恋愛も生モノだから。ゆっくりと後退させるのですら努力が必要なんだよ。いつか枯れる花。いつかは終わる恋。だけど、それまでの花が咲いていたころの日々が色褪せることはない。特別で大切だからこそ、笑って終わりたい希望。

 

この映画を通して、なんだか過去の報われなかった恋や、恋にすらならなかったもの、恋だったかもしれないものに向けて花束を贈られた気分なんです。たしかに終わったし、もう視線は交差しない。だけど、どこかに残っている気持ちとか思い出に向けられた花束。誰かと紡いだ時間って眩しく胸に残るものなんだ。僕はそんな花束と、それを運んできたこの映画に背中越しから手を振ったんだ。

 

 

 - 麦と絹と僕。サブカルとオタク

 

僕はこの作品のことが大好きだけど、果たして麦と絹のことが好きかと言われたら微妙だと思う。むしろ出会ったタイミングによっては、普通に嫌になる存在かもしれない。

 

だってさ、好きな言葉は「替玉無料」はまだしも、「バールのようなもの」って。そんなの言われても、普通にうわぁ….となってしまいそう。自己紹介にウケないと冷たいひとと言われそう。もっとも、好きな言葉は情熱です!好きな言葉は向上心です!とか言われても、それはそれで困るんですけどね。

 

演出とは理解しているけど、やっぱりイヤホンを片耳ずつで音楽を聴くのも「うわぁ…」だし、一冊の漫画を並んでふたりで読むのも「うわぁ…」。

 

というのも、たぶん僕は好きなものは自分ひとりで摂取することが身についてしまっているからであり、自分はどんなにチヤホヤされても、異性に焼肉誘われても、普通に真っ直ぐ天竺鼠を選択するタイプなのだと思う。

 

彼らのことをうわぁ…とは思うけど、今まさに自分の話をされていると感じる瞬間もある。だから余計に辛い。だって麦と絹の選択は、僕が選ばなかったものだから。つまり僕の分身で、有り得たかもしれない過去であり未来なのである。そして、そんな捨ててきたはずの可能性を、大事そうに眩しく麦と絹が拾い上げて見せつけてくるのだ。

 

 

これ、菅田将暉だからこんな爽やかな感じですけど、主役が黒猫チェルシー渡辺大知だったらもうこの4倍はサブカルと中央線の匂いがしますよ。ジョナサンではなく濃い茶色みたいな色味の安居酒屋で語っているし、生活のための就職はしなさそう。

 

ワンオク聞かないの?と聞かれて、「聞けます」と答える麦のその感じ。たぶん終盤の麦なら「聞きます!」と答えるだろうし、もっと酷いオタクは「通ってないですね〜」とか言う。つまり、うまく言えないけど、これはサブカルの物語。いわゆるオタクではないのだろう。押井守を神と呼び、新海誠にも言及しながらも、家にはアニメのボックスもフィギュアもない。うまく言えないけれど、この辺がサブカルチャーとオタクやマニアカルチャーとの境界線の気もしている。

 

この好きも一緒!この好きも一緒!ジャックパーセルのスニーカーまで一緒!の危うさ。結末がわかる故にかもしれないけど、ああこれ絶対別れるやつだと感じる眩い盛り上がり。足元は雄弁に語るということを僕は山田尚子と大九明子から学んでいます。劇中で麦と絹は友人カップルのお揃いタトゥーを笑ったけど、君たちにとってのそのカルチャーは、もうふたりで彫ったタトゥーみたいになってるよって言いたかった。

 

どんなに共通点があっても、好きな本や映画が同じでも、全てを共有することはできない。自分以外の人間は漏れなく他者である。ミイラ、ガスタンク。果たしてこれらは本当にお互いの好きだったか。好きをシェアするのは難しい。好きにも温度があるから。それに、嫌いなものを何も思わなくなってもあまり変わらないけど、好きだったものを何も思わなくなると妙なもの悲しさがある。

 

きっと初めから少しずつズレていたのかもしれない。海のところから予感はあった。

 

麦のカルチャーはコミュニティに準じているのだろうか。あの写真界隈がその証拠で、反対に絹が友人とカルチャーを摂取する場面がない。そう考えると、麦はカルチャーを摂取できなくなったのではなく、本質的には変わらず、コミュニティがサブカルから会社になっただけとも言える。

 

長岡から東京に出てきた麦と、広告代理店系の両親かつ都内で生活してきた絹では、先天的な文化資本が違うのかもしれない。絹にはカルチャーが根付いているし、ストリートビューに載って浮かれている麦と、ブログで3000PVを稼いだ絹とでは、コンテンツの生産能力での才能の差もあったのかもしれない。それでも絹は麦の絵が好きだった。君の才能が欲しかった、超好きだったのにな。

 

サブカルで生まれた関係性に必要なのは、好きなものがいつか終わってしまうこと、好きなものをいつか好きではなくなってしまうことのリスクヘッジである。なにかを同じような気持ちで好きで居続けるのは難しい。続けている人は同じような好きにみえて、ある意味で好きから信仰とかに変わっている可能性もある。

 

カルチャーが資本主義に飲み込まれていく。変わることで変わらない関係を築きたかった麦、変わらないことで変わりゆく状況と適応したかった絹。言い方とか態度とかはあるけど、どちらの考えも間違ってはいないと思う。でも正しい間違いだけじゃないのが人間関係で、ありきたりなことを言えば、カルチャー以外の部分での関係性が足りなかったのかもしれない。

 

君のオススメに面白いものはひとつもなかった

それでもついていきたいと思った たのしい日曜日

『愛してる.com』 - 大森靖子

 

きのこ帝国、Awesome City Club、まさに俺の話だ!と思っていたけど、若い世代が羊文学、崎山蒼志と言いだした。だけど現在進行形で彼らが好きだ。たぶん今はそれを摂取しつづけることを選んだのだと思う。でもそれが5年後にどういう選択をしているかわからないのである。

 

僕らに求められているのは、何が好きではなく、何かが好き!な気持ちなのか。好きなものを共有するのではなく、好きな気持ちを共有していくのだ。つまり、好きな映画の話題でマニアックなのという前振りで『ショーシャンクの空に』と聞いて苦笑いしている場合ではない。え、魔女の宅急便!?実写?と自分の理解の及ばない好きを知り、「自分が好きなものが好きだ」という情熱に共感していくべきなのだ。

 

それは奇しくも、実写版『魔女の宅急便』を大絶賛する様子を微笑ましく眺める『邦キチ!映子さん』の構造なのかもしれない。


みんなで読もう、邦キチ。


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