『僕の好きな女の子』
君に好きなひとがいたら悲しいけど 君を想うことがそれだけが僕の全てなのさ
- 銀杏BOYZ『夢で逢えたら』-
見終わったあとに、銀杏BOYZを再生した。これはそういう作品である。
又吉直樹原作の『僕の好きな女の子』、今作を嫌いなひと、合わないひとは一定層いると思う。「好き」といえない友人の関係から踏み出せない男・加藤、加藤が恋心を抱く女性・美帆。そんなふたりのちょっと痛々しいやりとり、駄目さ加減がよく描かれているし、極端な話、加藤が「好きだ」と言えれば終わる話なので。だけど、どうしようもなく刺さるひともいて、僕は刺さってしまう側の人間だったのだ…。打ちのめされている。僕だって主人公をヘタレだなって笑いたかった、それじゃ駄目だよって叱咤激励したかった。でも、そんな資格ない。刺さってほしくなかった。刺さってほしくなかったな…。
別冊カドカワ【総力特集】又吉直樹 (カドカワムック)
ホームページにはこう記載されている。
思い通りにならない君だけど、君と言う存在が僕の期待を裏切ったことは一度もない。
会うと些細なことで笑い合ってる。
バカなことをしてツッコんだりするけど、本当はエルボーとかキックとかじゃなくて君に触れてみたい。
友人たちにはキミの魅力も、この煮え切らない関係も全く理解されないけど、それでも一歩踏み出してこの関係が壊れてしまうなら、今のままの君との関係で十分幸せだ。
きっと僕が好きな人は永遠に僕のことを好きにならないから―
「好き」と伝えるだけで、どうしてこんなに難しいのだろう。
もう、いわばこれだけ、この通りの話である。この純然たる事実。この事実と、事実から生まれる顛末を、小気味よい会話と第三者の鋭い目線で描き出す。
「片思いがいちばん美しい」とか「友達以上恋人未満がいちばん楽しい」とか言うよね。わかる、超わかる。好きな子には自分なんかのこと好きになって欲しくないもん。だから「絶対に君は僕のことを好きにならない」この関係が心地良かったりする。でもちょっともどかしかったりする。そんな今の関係が壊れてしまうのが怖くて、現状維持を選択することが何も生まないことくらい、自分がいちばん分かっているんだ。いや分かっているのよ? でも、この関係を壊したら、はい次、ネクストコナンズヒントが来ないひとはどうしたらいいのよ。
冒頭から嫌な予感はしていた。美帆役の奈緒さんに3秒で恋した。あざとい、小悪魔、そう形容されるかもしれないけど、声も仕草も距離感もドンピシャだった。非モテの理想的ヒロインみたいなひとだ。ああ、まずいな、これはきっと響いちゃうなって思って見ていた。
友達としての好き、恋人としての好き。その境界線はどこにあるんだろうか。その境界線が揺らいだことはあったのだろうか。"いいひと"って"都合のいいひと"なんだよね。知ってた。もう全部知ってる、知ってるんだよ。でも知ってるんだよバーカ!って言える強さもないんだよ。どうすればよかったのかな。
ということで。
以下、ネタバレ有りで特につらかったポイントでーす。つら。(順不同)
・公園で子供に「付き合ってんのか?」と聞かれたときの反応
初っ端ですね。ここでね、このあと「俺たち付き合ってんの?」的なそれっぽい話をできるようなら、加藤はこんな悶々とはしてないわけでね。このシーンで、このふたりは結ばれることはないんだろうと察するわけですよ。早々に。だから、これ以降のふたりのやりとりは、きっと不毛なのになあ…って思ってしまうわけですね。また、このシーンとリンクして、飲み会帰りにふたりが加藤の友達に会ったシーンで「どういう関係?」に答えられないところも、つらポイント。「友達」って言ったら、きっと友達になっちゃうから。言えないよ。言えないよ好きだなんて。誰よりも君が近すぎて。と心の中の郷ひろみが歌っています。ここで「今は”まだ”友達」とか言えたらこんな風に…略。つら。
・渡せないジュース、ケーキ
いや渡せよ。というのはあるんだけど、これは距離が近すぎて恥ずかしいやつですね。加藤みたいなタイプは「ちょっと奢ってよ」とか言われたほうが、「えー」とか言いながら満更でもなく普通に渡せる。ジュースのシーンは、美帆が買うまでの時間のかかりかたを見てると、美帆は気付いていたっぽいよね。逆に、ケーキの時は完全に気付いていて確信犯でケーキの袋にバーンと自分の荷物を被せてきたのだと思う。だけど去り際に妙に含みを持たせた態度だったのは、渡されたら関係が変わっちゃう、けど渡されたいみたいな感じだったのでは。しかし、これも男側が「実は気があるんじゃね?」と考えているからそう見えるだけで、向こうに全然その意図がないパターンありますからね。つら。
・正しいことを言う(顔がきつめの)後輩
いやあこの萩原みのりさんは最高でしたね。後輩が言うと真剣味が違う。きつめの顔の美人が言うと破壊力が違う。そしてこの後輩ちゃんも加藤同様「好き」って言えない側の人間なんだよね。バーで遊園地行きましょうよって言ったのに、好きなひとが違う人と(なんなら、少し遊園地苦手だなとか言っておきながら)遊園地に行ったシーンが流れたとき、つらかっただろうな。好きなひとが不毛な恋をして、そして自分も不毛な恋をしてしまっている。不毛の連鎖。だからこそ「ただのいいひとじゃないですか」の切実さ。そしてあの涙目。ひとつだけじゃない感情が全部あの眼差しで伝わる。こちらも涙目ですわよ。あと、この後輩ちゃんの気持ちに気付いてるひと気付いていないひとで、微妙に立ち回りが変わっているのも芸が細かくて良かった。つら。
・美帆の彼氏、登場
ここで太賀。好きな人の恋人に会うなとあれほど、、、。加藤としては、全然違うタイプのひとが来たほうが楽だったと思う。反発するにしても諦めるにしても。こう、絶妙に気が合う具合と違う具合。正反対ではない雰囲気。ちゃんと“いいひと”でなんとなく加藤とも話が合って、だけどしっかりとした職業に勤めている。加藤と美帆はサブカルチャーで繋がっていた部分があるけど、そこで全然違う側面が見えてくるのがつらいです。美帆がシフト調整の電話をしてたりと、脚本家で食べていける加藤とは、良い悪いではなく住む世界が違うんだと思わせてくるのがつらいです。井の頭公園のボートに乗せたのは、せめてもの反抗でしょう。つら。
とまあ、ここまで書きましたが、僕は男女の友情可能派なので、なんとなく美帆の気持ちもわからんでもないのよね。ただ、もしかしたら、友達なのか恋人なのか揺らいだ時期があったとして、その揺らぎを経て「友達」となったら、それはもう友達なんですよ。恋愛対象じゃない故に気軽に会えるというか。性別を越えて信頼しているけど、恋愛対象として意識することはないというか。
だから、あの井の頭公園で、きっとこの後続くことはないんだろうな、と察した時は悲しくなりました。それで友達故に罪悪感もすごい。最初から恋愛目的で来たひとを振るのと、信頼していた友達を振るのは、もうダメージが全然違う。
最後に、触れないわけにはいかないラストですが……。こんだけ響いたのに解釈違いだったら恥ずかしいから言いたくないなー。いや本当に言いたくない。が、しかし。ということで少し予防線として、リアルサウンド様のインタビュー記事を。
渡辺大知×奈緒×玉田真也が語り合う『僕の好きな女の子』「"特別な時間"を感じてもらえたら」
又吉直樹の恋愛エッセイを原作とした映画『僕の好きな女の子』が公開中だ。「今突然、『好きだ』と伝えたら、キミは何て言うだろう」というキャッチコピーが象徴的なように、本作は友達の関係から一歩を踏み出せない主人公・加藤の視点の恋物語が綴られていく。 ...
僕の個人的希望的観測を含めると、完全妄想オチではなくて、加藤視点で思い返す美帆との日々(超思い出補正+脚色あり)くらいだといいな。井の頭公園で太賀が美帆に加藤の好意に気付いているか問うシーンとか、最終的に加藤に妻子がいるのとか、朝倉あきさん(最高)が加藤をちゃんと引っ張っていきそうな性格のひとっぽいとか、この辺が「好き」と言えない“ただのいいひと”に対する優しさだと思っているので。最後に新ヒロインが登場するのは、どことなく『(500)日のサマー』を思い出すし、これも、素敵な日々があってつらい終わりがあって、だけど次に進んで的なエールだと思っているので。というか、そうあってくれ。僕がそうやって救われたいんだ…。
『僕の好きな女の子』について語る会があったら楽しそう。みんなで、幸せになりたいっすね。
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