真実はいつもひとつ。そうだとして、本当の真実なんて誰にもわからない。
グザヴィエ・ドラン監督最新作にして初の全編英語の作品。相変わらず音楽を鳴らすタイミングが完璧で、しかも曲の選択があまりマニアック過ぎないというか洋楽に疎くても下手したら聞いたことがあるくらいの知名度の曲を使っているのに、ただならぬサブカル感を出すのは職人芸。ただ今作はかなりマイルドになった、見やすくなった作品だったと感じる。
アレンとドラン(1) (KC KISS)
29歳でこの世を去った人気俳優だったジョン・F・ドノヴァンと、当時11歳だった少年ルパートが交わしていた文通。死をきっかけに今は注目の俳優となったルパートが、ジャーナリストの取材を受けながら過去を回想する形で物語は描かれる。
今作に俯瞰的な視点はない。あくまでもルパートの目線で語られる真相。実際にドノヴァンと一度も会ったことのない彼の情報源は手紙である。それゆえ手紙やニュースから知り得る情報以上のことは基本的にはわからない。死を迎える瞬間に側にいたわけでもない。
死に至るまでの経緯や葛藤はルパートもメディアもわからないのだ。もしかすると本人すらわからないことだってある。真実は誰にもわからない。だとすれば、その余白に希望を抱いたとしても許されるのではないだろうか。
ひとは偽らずには生きていけない。
スターの背負った十字架は重い。重くさせているのは誰か。ドノヴァンは俳優として生きるために自らを殺してしまっていたのかもしれない。俳優としてのキャリア、同性愛者への不理解、親子の愛憎。ドラン作品はこの愛憎の繊細な蓄積が本当にヒリヒリする。手紙を通じて、ドノヴァンとルパートが抱える孤独が、苦悩が共鳴していく。
「生と死」ではなく「死と生」
何をもって死とするのか。『リメンバーミー』の話ではないが、誰かの心に残っている限り、“生”は続くのではないか。ドノヴァンは境遇が近いルパートに、殺してしまった自分を重ねていたのかもしれない。そして、ルパートは憧れのドノヴァンが殺してしまった、選べなかった“生”を選んで進んでいる。ドノヴァンの死がルパートの生に。それはドノヴァン自身の生でもあるという希望。解釈の中で、彼は生き続ける。
また、真実を追求する職業でジャーナリストが、ルパートの解釈の話に最終的に分かり合えた事柄がエモーショナルを加速させる。最後の表情、なんと眩しいことよ。
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