(C)2020「ラストレター」製作委員会
『ラストレター』
「お姉ちゃんのフリして手紙書いてたら、お姉ちゃんの人生がまだ続いているような気が、ちょっとしました」
夏休み。
この日々がずっと続くように思える夏。だけど、いつかは終わってしまう夏。
裕里(松たか子)の姉の美咲が亡くなった。彼女の葬儀の際に、美咲宛の同窓会の案内を受け取った裕里は、姉の死を伝えようと行った同窓会で、みんなに姉と勘違いされてしまい、そのまま釈明できず姉として対応してしまう。早々に帰路につく裕里だったが、かつて好きだった鏡史郎(福山雅治)に呼び止められ、美咲として鏡史郎と文通のやり取りをするようになる。
「君にまだずっと恋してるって言ったら信じますか?」
裕里、鏡史郎、そして美咲。思いは一方通行で、それはどこか手紙に似ている。相手に無事届いているだろうか、読んでくれているだろうか。思いが伝わっているだろうか。タイムラグが思いと不安を募らせる。
ひとによっては気持ち悪く感じるかもしれない。いい大人になってまで高校時代の恋をまだ引きづっているのも、家族がいても他人のフリをしてまで初恋のひととやりとりをするのも。井上陽水に聞かれなくても、冷静に考えれば気持ち悪いのかもしれない。
そんなあらすじだけ聞くとグレーな話を、爽やかなラブストーリーに感じさせる松たか子の魅力。嫌味のないわちゃわちゃ感と掴みどころのなさ。また、じめっと女々しいのに、手紙読む声めっちゃいい声の福山雅治も良い。そして福山雅治の仕草ひとつひとつに滲み出る神木隆之介の感じ。
現代を演じる松たか子・福山雅治と、回想を演じる森七菜・神木くんは、互いに動きとか演技に寄せていて(どっちかというと大人組が寄せてる)、顔の造形が違っても絶対にこのひとだなと分かる。松たか子・森七菜に関しては、森七菜が二役を演じる親子でもあり、これもまた親子だなと分かるのだ。
現代を演じる松たか子・福山雅治と、回想を演じる森七菜・神木くんは、互いに動きとか演技に寄せていて(どっちかというと大人組が寄せてる)、顔の造形が違っても絶対にこのひとだなと分かる。松たか子・森七菜に関しては、森七菜が二役を演じる親子でもあり、これもまた親子だなと分かるのだ。
胸に淡く残る思い。その思い出を胸に生きていたふたり。そのひとと、どうこうしたいとか、そういうのとは違う。忘れたと思っていたのか、忘れられなかったのか、忘れたくなかったのか。
この言い表せぬ感情は全部画面から伝わってくる。そして劇中では描かれない余白に、自らの思い出を重ねてしまう。そして、この映画からは匂いがする。
この言い表せぬ感情は全部画面から伝わってくる。そして劇中では描かれない余白に、自らの思い出を重ねてしまう。そして、この映画からは匂いがする。
夏の日差しと雨、手紙と小説、光と影。
眩しい記憶の中にある「もしも、あのときこうしていれば」という湿気を帯びた後悔。水が流れるように時間が不可逆だとしても、洗い流してくれない過去もある。その過去に囚われてしまうこともある。だけど、その過去が背中を押してくれることだってあるのだ。
手紙を通じて紡がれた過去から現在への物語は、まるでタイムトラベルのよう。モノにも記憶は宿り、死者は誰かが忘れず言葉に残していけば、真の意味では死なずどこかで生きているのかもしれない。そしてそれは、時代と世代を越えていく。
記憶の中でずっとふたりは生きていける。だから、過去と握手をするんだ。
【以下、ネタバレあり】
『ラストレター』森七菜さん、ご覧の通り可愛い、さらに動くとめちゃめちゃ可愛いんだけど、そんな森七菜さんでいいじゃんとならない、敵わないと思わせるくらいに、広瀬すずのオーラと眩しさがやばい。という映画です(違います)#ラストレター pic.twitter.com/nHe0244PD7— オガワヘヴンリー (@k_ogaga) January 17, 2020
広瀬すずの説得力がやばい。それはさておき。
個人的にグっときたのが颯香の決意のシーンだ。今作では、特に鏡史郎と美咲の娘である鮎美は、基本的なテーマとして「死の喪失からの再生」があったと思う。しかし裕里の娘である颯香はたぶんそこまで距離的に重みが彼らに比べると軽くて。その颯香にとっての“前を向いて進む”というのが、「学校に好きな子が出来て行きづらいけど、やっぱり行く」というのがとても尊いと思う。これは、いきなりこの理由だけ聞いてもキラキラ漫画かなと思ってしまいそうだけど、これまで紡いできたストーリーを考えると、なんて真っすぐ眩しくて、それでいて、それが一番大切なことだなと思えるんですよね。そしたら回想シーンとリンクもして、今度は初恋を叶えて欲しいとも思えるし、美咲裕里姉妹も当時はこんな感じだったのかな...とまで考えてしまう。
随所に亡くなった美咲の視点なのかなと思えるシーンがある。葬儀の後とか鏡史郎とトヨエツのとことか、空中からの視点とか。これによって(だけではないけど)どこか死の匂いを感じる作品となったような。
うまく言えないけど、広瀬すず森七菜がそれぞれ二役演じているのは、どこか対になっているというか表と裏の雰囲気を感じる。対になってると言いながらアレなんだが、鏡史郎が仏壇の前に来た時の広瀬すずは、美咲と鮎美の境界線を意図的に曖昧にしたと思う。そういえば鏡史郎が縁側を歩くのも感慨深いのよな。あの日の鏡史郎は、まともな写真も見せてもらえずスイカも食べずだったのに。ちゃんとした写真を見れたんだな。また本人には会えなかったというのは辛いけど。
鏡史郎は美咲に言われて小説家になったけど、裕里は鏡史郎が本好きだったから図書館司書になったと思う。
森七菜さん、語感的には「もりななな」のほうが言いやすいのですが、いかがでしょうか。
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