『パラサイト 半地下の家族』
『パラサイト 半地下の家族』感想— オガワヘヴンリー (@k_ogaga) January 11, 2020
貧困、格差、断絶。韓国を世界を取り巻く社会問題を描く隙のない傑作。会話劇とか笑えるけど途中からの展開がもう全然笑えない。これはコメディなのかホラーなのか。メッセージ性もさることながら圧倒的な画面の力強さと美しさよ。強い映画だ#パラサイト半地下の家族
2019年カンヌ国際映画祭における最高賞受賞作品。過去の受賞作を見ても、イギリスが16年『わたしは、ダニエル・ブレイク』で、日本が昨年の『万引き家族』なら、韓国は本作『パラサイト 半地下の家族』なのだろう。貧困、格差、断絶。カンヌに限らず、昨年大ヒットしたアメリカの『ジョーカー』含め、もはや世界的な問題になりつつあるこのシリアスなテーマをジェットコースターのような緩急で描いたまったく隙がない作品だ。
ポン・ジュノ監督作品
グエムル-漢江の怪物-(字幕版)
「パラサイト」というのは寄生虫の意味である(僕は少しばかり遊戯王を思い出した) そして、「半地下」というのは、別にアイドルの話でもハンカチの話でもなく、実際に韓国にはそういった家があるらしい。1階ではなく半分地下のため、窓がちょうど地面の位置にある。そのため景色は足元しか見えず、誰かが立ちションなんてしようものなら大変である大問題である。そういった汚い水が家に流れてきてしまうのだ。日当たりは悪いだろうし湿気もひどいだろう。だが家賃は安い。
この作品は、そんな半地下に暮らすキム一家が、ひょんなことから高級住宅に住むパク一家の元で働くことになる様子が描かれる。この働く(寄生する)までの一連の流れが本当に面白い。他人の家のWi-fiを探すというコミカルさと、同時に家の様子を映し、スマホは買えるがWi-Fiはないなどの所得具合。面白いながらも、家族それぞれのキャラクター性が自然にわかる作りになっているのが秀逸。
例えば、内職を家族全員でするシーンで父親が作った分だけ不良品になるシーンは印象的。かつてはハンマー投げ?の有力選手だった母。受験に失敗しているがちゃんと教えることは出来る兄。予備校に通うお金はないが偽履歴書を上手に作れる妹。父だって「台湾カステラ」などの事業に失敗し、甲斐性も計画性もないが運転技術はしっかりしている。そこには能力がそこそこあるように見えるひとでも、職がないという現実が横たわる。とはいえ、まだこの頃は笑える話だった。
※「台湾カステラ」など、下記ページがわかりやすくまとめてあったので是非に
韓国映画「パラサイト 半地下の家族」(『寄生虫』)をより楽しむための韓国文化キーワード7つ(ネタバレなし) | エンタメ総合 | 韓国文化と生活
日本でも公開が始まり(2020年1月10日)、すでに鑑賞した韓国映画ファンも多いと思うが、ポン・ジュノ監督本人は「パラサイト 半地下の家族」について 「韓国人が観てこそ腹の底まで100%理解できるディテールがところどころにちりばめられている映画」であり、 「韓国的な状況を扱った映画なので外国人が100%理解できるか少し心配だった」 と語っている。 ...
このキム一家が寄生する先、パク一家の自宅は高台にある。地上のなかでもかなり高い。家政婦もいるし、幼少期から家庭教師をつけて学ぶ環境がある。そんな家に半地下から階段を上り、坂を上り仕事に向かう。露骨なまでに階層の高低差を見せつけていく。
資本と教養はリンクする。半地下のキム一家では、エリート留学生から貰った石に対して食べ物が良かったというような家である。芸術的な価値より、目の前の暮らしなのだ。大学合格を諦めきれない兄は、その石を肌身離さず持ち歩く。
雨。
パク一家の旅行中に、家族みんなで食事のも雨だった。映画における雨のシーンを考えると不穏な空気しか感じない。そしてやはり、その日が境界線となった。半地下の先にある地下。消えない臭い。水は上から下へ流れる。
この物語には、明確な「悪役」はいない。豪邸に住むパク一家も決して悪ではない。悪役であったほうが辛くなかったかもしれない。彼らは仕事に関しては正当に評価するし給与も与える。気さくな部分も無邪気さあるし、すぐひとの言うことを信じてしまう純真さもある。しかし、パク社長はこのようなことも言っていた。「一線を越えるな」
ひとは無意識化でどこか線引きをしてしまうのか。線を越えた世界には無関心で、知ることをしない。分断。半地下のキム一家も地下にひとがいる世界なんて想像もしていなかった。悪意の有無は関係なく、その齟齬から生じる亀裂。
雨が流していくもの。流れたものの行く末は。見える小さな世界しか見えないのか、見ようとしないのか。知らないほうが幸せだったのか。でも彼らは見てしまった。知ってしまった。半地下の先も、自分たちのニオイも。全く自分たちが見られていないことも。だから彼らのために、自分たちの尊厳のために、立ち上がって決壊した。でも、そこにプランはなかった。
雨が流していくもの。流れたものの行く末は。見える小さな世界しか見えないのか、見ようとしないのか。知らないほうが幸せだったのか。でも彼らは見てしまった。知ってしまった。半地下の先も、自分たちのニオイも。全く自分たちが見られていないことも。だから彼らのために、自分たちの尊厳のために、立ち上がって決壊した。でも、そこにプランはなかった。
絶対に失敗しないプランとは、プランを建てないことである。ノープランだ。それは詭弁というよりも諦めに聞こえる。プランを立ててもどうせ上手くいかないから。プラン通りにいくら勉強して真面目にやっても金持ちにはなれない。今思えば、最初に面接の際に、紹介なら履歴書不要というのも示唆的だ。それは学歴よりもコネクションが重視されることなのだから。努力して大学を出ても、その先が安泰とは言えなくなる時が近づいているのかもしれない。
また、パク一家も今後は分からない。稼いでいた社長は殺され、騙されやすい奥様(綺麗)と、受験生の娘(かわいい)と息子とどう生きるのか。事件のトラウマは勿論、娘はおそらく来る家庭教師来る家庭教師を誘惑してた(惚れてしまった兄の言葉が留学した友人と全く同じのは意図的だろう)し、わざと奇を衒った行動をとっていた息子の闇も深い。彼らもまた、いつ階段を降りることになるのかは分からないのである。
エピローグ。
階段を上がることを目指した父は、結果的に階段を降りることになる。しかし、兄は地下からの声に気付き、救おうと思う。これはこれからの若者に、地下からの声を聴き、未来を変えてほしいとの願いかもしれない。だが、そのシーンは夢として描かれる残酷さよ。この映画で世界が変わるかは分からない。しかし、知らない世界を知ることが創作物の意義だとするならば、知りたくなくても目を背けたくなっても、今必要な作品であったといえるのだろう。
前半は笑えたのに、後半の展開はもう全然笑えない。これはコメディなのかホラーなのか。まるで「人生は喜劇であり悲劇である」奇しくも『ジョーカー』を見たときと同じような感想を抱いてしまった。
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