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『ジョーカー』感想 レビュー どこかで、ジョーカーの登場を心待ちにしてはいなかったか



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『ジョーカー』


減点法ならかなりの高得点であろう隙のなさに、狂気溢れるホアキン・フェニックスの大加点。歩く後ろ姿、走る後ろ姿、そしてラストの後ろ姿。とにかく背中で語る映画であると同時に、群衆の目線で撮られた映画だとも言える。最悪なことが起こっているはずなのに、なぜか明るく見えてしまう。そして、その眩しく見えたその背中に問われ続ける。我々は、どこかで、ジョーカーの登場を心待ちにしてはいなかったか、と。


韓国映画『神と共に』にて「悪い人はいない、状況が悪かっただけ」という旨の言い回しがあった。今作の主人公アーサーはまさにそう感じざるを得ない背景が描かれる。精神に病を抱え孤独で職を失い親の介護までしている。心優しくも苦しみながらも精一杯生きていた彼が、限界を越えてジョーカーへと変わる。墜ちる、悪に染まる、というより、本来持っていたものが解放されたように感じてしまうような、少し清々しさに近い感情さえ抱いてしまいそうになる。きっと何かのキッカケで、積み重ねで、誰もがジョーカーになり得るのかもしれない。そういったアーサーの状況に「これは俺たちの物語だ」自分を重ねてしまうことは想像できるし、実際にアメリカではそれを警戒して荷物検査もしているとか。


しかし、誤解を恐れずにいえば、そんなにみんなジョーカーにはなれないと思う。あそこまで単独で大義もなく理性の仮面を剥がして行動するのは並のことではない。どちらかといえば、ジョーカーを追随し、ジョーカーには必要のないピエロの仮面を被った群衆になってしまう可能性のほうが高いのではないだろうか。


アーサーは貧富の差に憤ってはいたけど、反体制的な意味合いで殺人を犯したわけではない。(超皮肉な映画見るシーンで呑気に笑っていたし)言い方が難しいが、テロではなく私的な理由で行ったように思える。だから単なる狂人殺人鬼で終わる可能性もあったわけだ。しかし、市民が「ジョーカー」というシンボルを抱いてしまった。理由を見出してしまった。そうして生まれたのがピエロの仮面の者達である。彼らを生み出したのは、政府かもしれない。しかしアーサーをジョーカーに変えた一因には、きっとピエロの仮面達になった人々も含まれている。


物語序盤にアーサーの仕事を邪魔してボコボコにした奴らが、仮面を被りジョーカーを支持しているかもしれない。そんな矛盾。アーサーは富裕層からも貧困層からもリンチを受けており、故に政府が…の視点だけでこの物語を測るのは危険である。おそらくは社会が…であり、その社会に私たちも含まれてはいないか。ジョーカーに感情移入しそうになり、どうしたら救えるかと思いながら、気付かずアーサーのようなひとを踏みつけてはいないだろうか。危機管理と無自覚な差別の境界線はどこにあるのか。


正義の反対はもうひとつの正義、と言うことは、悪の反対も正義とも限らない。もうひとつの悪と言えるのかもしれない。では、悪とカテゴライズするのは何なのか、誰なのか。曇りなき眼で見定め、決めるしかないのか。主観でしか見られないことを認め、そして分かり合えないこともあることを理解して、それでも手を差し伸べていくしかないのか。『ダークナイト』の頃はまだ信じられた性善説がここまで揺らいでしまった時の移り変わりを思い、分断されたどちらの大衆心理を肯定も否定もせずそのまま描いた気概に拍手を。


まあ、とはいえ。


凄い映画なのは間違いないけど、やっぱり「絶対悪」のジョーカーが見たかったな圧倒的美学ある悪役のままで、悪になるのに理由なんて欲しくなかった。もっとも、そういう風に思ってしまうことこそ現代の闇なのである。




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