『惡の華』
君の嫌いな相槌も
君の嫌いな解釈も
君の嫌いな表情を
全部壊したいよ。
-『魔女』 リーガルリリー -
押見修造原作の言うなれば行き場のない思春期、思春期の暗黒面を描く人気漫画の実写化。原作者が他の監督からの話はずっと断ってきたという強い希望もあり、井口昇監督が撮った今作は、思ったよりあっさりとした印象というのが正直なところだ。しかし、あの濃度で全11巻ある原作を2時間にまとめるとなると、どうしたって濃度は多少薄くはなってしまうのは仕方がないことであるけど、性に対する描写が甘いとか控えめとか云々意見があるとは思う。
しかし、かといって例えば前編後編の二部作にしても鑑賞のハードルがあがってしまうし、しっかり性描写しR15にしてしまうと中学生が見られなくなってしまう。だからこれは絶対に1本の作品としてPG12でよかった。できれば、今まさに思春期を過ごす誰かに見てほしいから。そして少しでも掬われて救われたらいいなと思うのだ。
惡の華(1) (週刊少年マガジンコミックス)
映画の冒頭、「この映画を、今、思春期に苛まれているすべての少年少女、かつて思春期に苛まれたすべてのかつての少年少女に捧げる」といった旨の言葉から本作は始まる。『惡の華』は大きく分けて「中学生編」「高校生編」があるのだが、時系列順の原作とは違い、男子高校生の主人公、春日(伊藤健太郎)が中学時代を回想するという形式で描かれる。
中学生の春日は山々に囲まれた地方都市で閉塞感を感じながら日々を過ごしながら、ボードレール『惡の華』を愛読し、自分は他人とは違うと思っていた。そしてある夏の日、クラスのマドンナである佐伯さん(秋田汐梨)の体操着を盗むところを仲村さん(玉城ティナ)に見つかったことから、口止めを条件に契約を結ばされ支配されていくのだが、彼女の変態的な欲求に快感に近い感情を抱くようになっていく。
行動のリアリティという面では、そういうケースが現実で起こる感がゼロではないにしても、実写化によりかなりやばい奴という印象が強くなる。ネタバレを避けるように言えば、「クソムシ」と教師に向かって言う生徒や、パンツがあんなところに登場するシーンもそうだし、若気の至りでは済まない問題行動もある。
だが、感情面に目を向ければ、誰しもが抱いたことのあるモヤモヤした、一言では言えないような感情ではないだろうか。みんなそれぞれの立場でそれぞれの悩みを抱えている。閉塞感、衝動、性、全能感と無力感。自分は他人とは違うという自我、他人から求められることと自分との乖離。仲村さんはそれを曝け出せと言う。
だが、感情面に目を向ければ、誰しもが抱いたことのあるモヤモヤした、一言では言えないような感情ではないだろうか。みんなそれぞれの立場でそれぞれの悩みを抱えている。閉塞感、衝動、性、全能感と無力感。自分は他人とは違うという自我、他人から求められることと自分との乖離。仲村さんはそれを曝け出せと言う。
本作のヒロインは圧倒的に仲村さん役の玉城ティナである。個人的に玉城ティナさんはずっと好きなのだが今回は贔屓目なしに最高だ。顔の造形の美しさに見落としてしまいそうになるが、(初期からのファンは特に気付いていた感のある)潜在的暗黒さ、底知れないやばさに、雰囲気が違いすぎてどこにいても少し浮遊しているように見える非現実感が、ちょうど仲村さんの特異性とリンクして、血と肉となっていた。
仲村さんは紋切り型の冷徹毒舌ヒロインではなく、痛い子でも嫌な子でもなく茶目っ気もあって、ドロドロとしたものを曝け出しながら、他者にもそれを強要しながらでも本当は純真なひとであり、そこも玉城ティナの透明感に呼応する。そしてなにより目を見開いたときが、『惡の華』の表紙の目になるのである。
仲村さんは紋切り型の冷徹毒舌ヒロインではなく、痛い子でも嫌な子でもなく茶目っ気もあって、ドロドロとしたものを曝け出しながら、他者にもそれを強要しながらでも本当は純真なひとであり、そこも玉城ティナの透明感に呼応する。そしてなにより目を見開いたときが、『惡の華』の表紙の目になるのである。
ほかのキャストについても、伊藤健太郎は中学生に見える(見えないときもあるけど)のにやっぱり華があるので、いろいろな女の子が春日に惹かれてしまうのに説得力が生まれるし、撮影当時15歳秋田汐梨の佐伯さんの"本物感"が圧倒的でとんでもない。また、高校生編の鍵となる常盤さん役の飯豊まりえは、きっと原作組からは否定的な意見も出るだろうけど、個人的にはもう包容力と明るさの安心感と急に画面の空気が変わるくらいの強さを感じて好きです。
現在から過去を振り返るという形式ゆえに、原作の持つ中学生編の持つどこまでも続く閉塞感や息苦しさが薄まった感はあるし、ダイジェストのようになったと感じるひとも粗さが気になるひともいるかもしれない。時系列順に中学編で終わる方が映画として美しかったかもしれない。でもそれでも高校生編は必要だった。これは、その先の、人生は続いていく、続いてしまう全てのクソムシ達への真っ直ぐなエールなのだ。思春期は勝手に始まってしまうが、自ら終わらせなくてはいけないのか。普通ってなんだ。変態ってなんだ。そんな欠片をかき集めて、刮目せよ。感情のステージに上がってこい。
できることなら自分が中高生の頃に、この映画を見たかった。見ていたらマンガを描かずにすんでいたと思います。
-押見修造
映画『惡の華』公式ホームページより抜粋-
しかし、仲村さん側から見るとこの話、もう辛くて切なくて泣けてしまうな......。
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