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『トイ・ストーリー4』レビュー 感想 頭では絶賛、心では辛い。賛否両論必至のウッディ物語


(C)2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.



『トイ・ストーリー4




※ネタバレなしで書いたはずが、読むと普通に内容を察してしまいそうなので、実質ネタバレです。お気を付けて......










『トイ・ストーリー』の1作目が公開されたのが1995年。91年生まれの僕は、かなりトイ・ストーリーゴールデンエイジな世代である(ちなみにおジャ魔女どれみは学年一緒のスーパーゴールデンエイジ)。もっとも、当時の僕はまだまだおこちゃまで、リアルタイムに見ていたわけはなく、初めて見たのが小学生の給食の時間だった。


給食の時間中に教室のTVで放送するわけだが、当然一気に全編見れるわけではなく、画面は小さいし、途中から途中までなんてザラだし、準備が遅れたら頭が見れないし、そもそも食べながら見るの難しいよね。そんなこんなで全然覚えてないのに、見た記憶が残っているのは、やっぱりアニメの画力が凄かったんだと思う。それからは、金曜ロードショーとかで度々放送されたのを見ていた。それで、ちょうど大学生の時に3が公開されたのだった。


アンディよりちょっとだけ先輩の僕は、もうモロに沁みてしまって、あのボニーへおもちゃを紹介シーンは泣いた。3は傑作で、これ以上ないエンディングだったと思う。そして、それと同時にこんなことを思った。ちゃんと最後まで見届けなかったおもちゃ沢山あるなあ、と。壊してしまったもの、なくしてしまったもの沢山あるなあ、と。


さて、『トイ・ストーリー4』である。予告編の時点で少し予感していた。『カーズ3』、『シュガーラッシュ:オンライン』、そのあたりを思い出した僕は、本当は気づいていたのだ。それは悪いというか悲しい予感だった。そして、その予感はオープニングで確信へと変わる。だけど、あんな形で締めた以上、やれることはここしかないよな、とも思うのだ。


アンディからおもちゃを譲り受けた新しい持ち主ボニーのもと、幸せに暮らすウッディだったが、徐々に遊ぶ回数が減っていく(ボニーに対し否定的な意見もあるが、幼稚園くらいの子供なんてそんなものである。大人だって好きなものが変わることもあるし、貰ったけど微妙なものだってたくさんある)。そんなウッディが、だんだん過去の栄光はあるものの、時代に取り残されつつあるベテラン戦士みたいに見えてつらい。ウッディの不遇描写など見たくない気持ち、おおいに分かる。


おもちゃの幸せとは何か。3までの世界なら、確実に子供に遊んでもらうことだった。しかし、遊んでもらえない、色んなおもちゃがいる。持ち主が変わるもの、持ち主が共有になった(保育園とか)もの、飾られるもの、そして自由なもの。端的に言ってしまえば、3までの価値観では幸せになれそうもないウッディが、これからの日々をどう生きるか決断する話が4である。トイストーリーというよりウッディストーリーだ。


本作が優れているのが、ウッディの決断を絶対的に正しいとせず、その他の色んな価値観を否定しない。色々な価値観の中で、単にウッディが選んだんだ、というスタンスを崩さないことにある。おもちゃも多様性の時代である。


ベテランになったウッディは、ベテランになった故の行動を取る。そこには、かつてバズに嫉妬し追い出そうとしたウッディはどこにもいない。1でも聞いた「君はおもちゃだ」のセリフがこんなに変わって聞こえてくるとは。自分はゴミだというフォークから生まれたおもちゃ、フォーキーの背中をウッディはそっと押す。


では、悩めるウッディの背中を押すのは誰なのか。ウッディの物語の本作では、そのシーンまであんまり活躍しないけど、確実に、この映画での最高のシーンだった。本当は言いたいことなんて沢山あったはずなんだ。だけど、それを堪えて送り出す。煽らずに感動させるお手本のようなシーンであると同時に、13の間過ごした素晴らしき日々を思うと、寂しい気持ちにならざるを得ない。だけど1~3の間共に過ごした仲間だからこそ、あのシーンが出来るのだ。あの決断ができるのだ。


僕がこの映画を見終わったときに思ったのは、これは賛否両論割れるぞ…下手したら荒れるぞ…ということだった。なぜなら、単に自分の中でも、絶賛の気持ちと、こんなの見たくなかったんだという相反する思いが同居していたからだ。


『トイ・ストーリー』は、もしかしたら見てないところで、おもちゃ同士が話してるかもしれない、というような、ちょっと妄想したことある世界を映像化した「おもちゃの世界での話」だった。4では完全におもちゃには自我がある認識のもと話が進んでいく。まあ、続編のたびに、ストーリー部分の比率が大きくなるのは仕方ない事とは言える。だけど、おもちゃの世界のファンタジーとして捉えていた人と、おもちゃを主役にした人間ドラマとして捉えるかで、大きく気持ちと評価が割れそうという印象だ。


話自体がおかしい訳では決してない。むしろ非常に高い志と技術を持った作品である。例えば、この物語の舞台がスポーツのクラブチームだったりすると、おそらくそこまで荒れないと思う。むしろ前向きになれる作品にすらなり得る。ウッディを出場機会を減りつつある生え抜き看板選手と捉えれば、当然悲しくもあるけど、ある程度みんな納得できるのではないか。悲しいけどな。


また、最高のCG技術によるおもちゃ達の質感も素晴らしい。ウッディ、バズ、ボーにぬいぐるみ達など、それぞれ素材が違うのが目に見えて分かる。さらに雨、ランプ。心理描写とリンクする演出もさることながら、過去作と比べると確実に技術革新を感じる圧倒的高水準の映像の綺麗さ。


結局のところ、ここまでおもちゃの世界から離れた「トイ・ストーリー」を見たかったのか、という話なのだ。非常に心にくる人間ドラマにはなっている。でも、やっぱりそこまでしておもちゃに人間らしさを求めてなくて、こんなに人間臭いウッディも見たくなくて。おもちゃの規模感で完結して欲しかった感もある。今回の感想を書いていてもちっともまとまらないのは、自分の中でも賛否揺れ動いているからだ。毒にも薬にもならない作品も多々あるなかで、毒にも薬にもなり得る力強さ。


個人的には、最後のおもちゃ達が団結するシーンは少々やりすぎに感じてしまった。冷静に考えると1でも、おもちゃの掟を破ってて、かなり無茶はしてるんだけど、そう感じさせないくらいの説得力と勢いがあったような。そもそもおもちゃが動くフィクションなので基本的にはあり得ないんだけど、でもちょっとないなと思ってしまったのが、4のシリーズ内における相対的な評価であるかな


幸せな時間が終わりを告げても、日々は続くし、思い出は消えない。かつて自分が迷子にしてしまったおもちゃ達が、どこかで元気に過ごしていたら、過ごせていたらいいな。少しだけ罪悪感がなくなった気持ちはある。きっと、これは3で救えなかったおもちゃへ向けられた物語でもあるのだ。あばよ、相棒。無限の彼方に幸あれ。

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