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『女王陛下のお気に入り』感想 レビュー そこに、愛は、あるんか?



(C)2018 Twentieth Century Fox


『女王陛下のお気に入り』




あの監督が普通に大河モノを撮るわけないとは思っていたけど、思いのほか見やすくて、やっぱり後味が悪い。全編から漂う不穏、悪趣味、ジョーク。そして、愛。愛とは。


時代感をおそらくわざと無視したであろう衣装、自然光だけの明かりがかえって新鮮で、不気味な音楽と魚眼レンズで覗く宮廷は美しくも歪んだ構造を映し、3人は滑稽にも悲しくも見える。


3人とは、アン女王(オリヴィア・コールマン)、その幼馴染でイングランド軍を率いるモールバラ公爵の妻サラ(レイチェル・ワイズ)、サラの従妹だと名乗る上流階級から没落したアビゲイル(エマ・ストーン)のことで、女王の寵愛を受けようと2人が滑稽にも悲しくも見えるというのは、素晴らしいことである。


オリヴィア・コールマンは愛に飢えた様子を、レイチェル・ワイズは上流階級らしい高貴な気品と、追い上げられて焦る様子が良く伝わってくるし、エマ・ストーンは本当に物語が進むにつれて目つき表情が変わっていく。エマ・ストーンの成り上がるために必死なのは生きるためだと分かっている分、観客も途中までは応援したくなるメンタリティになる。だが、しかし。


そこに、愛は、あるんか?(CV.大地真央)


イギリス版大奥という触れ込みの本作だが、そんな器で語るには勿体無い、愛の話であった。


この作品には、印象的な動物が登場する。アンが飼う17匹のウサギと、鳥撃ちで撃たれる鳩である。ウサギと鳥。一生を飼いならされて言いなりで終えるのも、飛び出した刹那に撃たれるのも、どちらにしても厳しい。


最後の虚無みたいな2人の表情に、重なるウサギが忘れられない。


アビゲイルはきっとウサギのようにアンに飼われるのだ。地位と生活を代償にして。いつかくる新しいアビゲイルがやってくるかもしれない、その日まで。


ひとりになったウサギは寂しくて死んでしまう。愛を失い、実質ひとりになったアンは、死んではないものの、どんどん生気を失っている。アンもまたウサギだったのか。


サラはアビゲイルの策略含めて、アンによって放たれ、地位と権力を失った。奪われた。それは放たれた刹那に撃たれる鳩にも見える。しかしアンは自ら手放したはずのサラが戻ることを願ってしまっている。


アンがなによりも大切にしていたウサギをサラは決して触ろうとしなかったが、無下にも扱わなかったはずだ。容易くウサギを抱いたアビゲイルが陰でそのウサギを踏んでいたのを、アンが見たとき、自分は嘘をついていないからというサラの言葉を思い出す。アビゲイルに対してというより、気づけなかった自分に対しての怒りを感じたのだろう。


誰も報われないまま、日々は続く。


あと、これはどうしても言及しなければいけない本作の魅力について簡潔に。











エマ・ストーンのおっぱい丸見え!


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