(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会
『若おかみは小学生!』を見た。原作未読、アニメ未視聴。ネタバレあり。
絶妙なバランスで成り立っている映画だ。僕はわりと絶賛の立場であるが、しっくりこない人の意見もわかる。ただその絶賛の人と微妙だった人の比率含めて、狙い通りの塩梅だったのでは、とすら思えてくる。そのくらいの扱うテーマは重いのに、印象として爽やかなのだ。あくまで僕がエゴサを少しした結果の範囲ではあるが、微妙だった人も、本編のクオリティというより、価値観、考え方が合わないという意見が多かったように思える。
冒頭、主人公のおっこはいきなり事故で両親を失ってしまう。しかし、泣きじゃくる様子や葬儀シーンなどは一切流れず、ひとりスーツケースを持って旅館を営む祖母の家へ向かう。さらにはおっこ以外誰もいなくなってしまった家に「行ってきます」と言う、電車で窓に向かいの席にいる家族が映っても気にも留めない様子が描かれる。気丈に振る舞おうとしているわけではない。両親の死をまだ実感していないのだ。おっこは両親と戯れる夢を見る。
喪失と向き合うのは。朝倉あき主演『四月の永い夢』という映画(良かった)があるが、今作のおっこも、同じように、どこか覚めない夢の中にいたのでは。序盤のおっこは色々な幽霊や亡くなった両親を見るなど、明らかに現実を生きている感じはしない。しかし、紆余曲折あり(後述)若おかみとして働き、学校に行き、人と触れ、徐々に「生活」をしていく。生きていく。そしてそれに比例するように、段々幽霊は見えづらくなり、最終的には両親の死を理解する。つまりそれは、生をもって死を実感したのだ。
今作で意見が割れるところは、若おかみになるところ、そして真の意味で若おかみになるところであろう。悪く言えば、なし崩し的にというか、そこに本人の意思はなく、若おかみとして働くことになり、真の意味でなるシーンは、ネット上では『ダークナイト』と言われているように、いい子すぎ、強すぎでは、という気がしないわけでもない。
おっこには居場所がなかった。家族を失い、誰も知らない土地へやってきた小学生は、そこで生きていかなければならなかった。もう、そうするしかなかったのだ。縋るしかなかったのかもしれない。シビアで、たしかに現実である。ただそれをほのかに香る程度で全体的にはコミカルに、若おかみになる経緯を描く。そこの配分が絶妙で、変に大人向きにならず、ただのお気楽作品にもならなかったのだと。
今作の世界観だと、居場所を作るには、働くしかない。居場所を得るために働くことを決意し、悲しみに向き合い、生を全うするために、また働くことを決意する。働かざるもの食うべからず。自分らしくとか、世界を変える的価値観が多い中、役割を得て社会との一部となり適合を目指す本作は、たしかにトレンドではないかもしれない。だが、それもまたひとつ大切な価値観でもあるのだ。
花の湯温泉のお湯は誰も拒まない。全てを受け入れて癒してくれる。
かつて、おっこ自身がそうされたように、おっこがお客様を拒まず受け入れ癒すことで、おっこ自身もまた癒されるのだ。最後の神楽なんて、この街に受け入れられた象徴的出来事である。僕は泣いた。ここまで明るく現実を描きながら、最後は映画的大円団で穏やかに笑った。
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