(C)2018映画「累」製作委員会 (C)松浦だるま/講談社
『累 -かさね-』
原作未読。
率直に言えば、始めて設定を聞いたとき、天才的な演技力を持つ累を芳根京子が......わかる。圧倒的な美しさを持つニナを土屋太鳳が......ん?と思ってしまった(ファンの方すみません)。土屋太鳳、そんなに美形を売りにしてないし、もっと美しい女優さん沢山いるのではと思ってしまった。しかし、今なら言える。ニナは土屋太鳳でよかった。本当に良かった。
まず。これは早々に気づくべきだが、口紅を使って顔が入れ替わる話なので、外見がニナ(美しい顔)、中身が累(天才的演技)の状態が生まれるわけで、普通にニナにも演技力が必要という。なのでただ美形なだけでは駄目なのだ。
そして、もうひとつは累とニナが表裏一体、似た者同士だからこそ近い存在のほうがより際立つということ。極端な話、ニナがこれ池田エライザとかだと、同じことをしてても、感じ方が全然違ったと思われる。土屋太鳳、芳根京子と年代もそうだし、雰囲気、朝ドラヒロインという事も相まって、より同一性がわかりやすく伝わる。
だけど、入れ替わっても入れ替わってなくても、どっちがどっちかは一目でわかるように2人とも演じ分けており、また境界線が曖昧になってきたときは、ちゃんと曖昧にして演じているという。すごい……
先日まで、TVドラマ『チアダン』を楽しく視聴していた僕ではあるが、主演の土屋太鳳に比べて、周りのチアダンス部メンバーのほうが可愛い子は多いよなと思っている。だけど青春ものでありがちな正直で青臭い正論(まあ薄っぺらいこともあるけど)を言っても、白けず説得力があるのは間違いなく土屋太鳳だし、周りにどんなに可愛い子がいても、真ん中にどん、と立つのは土屋太鳳だなとも思っていて。それは単にそういう役が適任なだけかと思っていたけれど、全然違った。
純粋に役に血を通わせることのできる女優だった。あの天真爛漫のなかに、闇を灯せる女優だった。というか、こんなに愛なのか欲なのか何なのかわからなくてなるくらいぐちゃぐちゃの感情を表現できる土屋太鳳に、一途な明るい役しかやらせてないの勿体なさすぎでは!
当然、役とプライベートは別物とは理解しているが、今回の土屋太鳳の役は、いわゆる表面的なニナはパブリックイメージでの土屋太鳳で、そこにあまりイメージにない人間の業や欲を内面に秘めさせる感じだったが、本物の土屋太鳳も、今の地位を築くまで、そういう嫉妬とかあったのかなー。と思いを馳せてしまう。そういった意味でも、清純派のナタリーポートマンがあの役を演じた『ブラック・スワン』を思い出してしまうな。
最後に。ここまで土屋太鳳の話ばかりだが、累を演じた芳根京子も素晴らしい。個人的に目に影を宿したときがとても好きで、今回もいい睨みをしますよ。
よかっ太鳳……。
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