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『レディ・バード』感想 痛くて愛おしい。喪失して気付く青春と親子の物語

(C)2017 InterActiveCorp Films, LLC./Merie Wallace, courtesy of A24


『レディ・バード』
監督:グレタ・カーウィグ
出演:シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズ、ティモシー・シャラメ など


カリフォルニア州のサクラメント。閉塞感漂う片田舎の町でカトリック系の女子高に通い、自らを「レディ・バード」と呼ぶ17歳のクリスティンが、高校生活最後の年を迎え、友人やボーイフレンド、家族、そして自分の将来について悩み、揺れ動く
(映画.comより引用)






最高の青春こじらせ映画が誕生した。レディ・バードが痛くて愛おしくて堪らない。16年上半期『スウィート17モンスター』、16年下半期『勝手にふるえてろ』、そして17年上半期はこの『レディ・バード』である。


自らを「レディ・バード」と名乗るクリスティン(シアーシャ・ローナン)は17歳だ。しかも仲間内で名乗るどころではない。教師や家族にも「レディ・バード」と呼ぶことを強要する。ちょっと、いやかなり痛い子である。


17歳 It's a セブンティーン。思春期特有の諸問題を「まあ17歳だったから」と片づけられるのは、誰もが通るその道を過ぎた者だけなのだ。(以下、クリスティンと呼ぶと怒られそうなので、レディ・バードと呼ぶ)レディ・バードにとっては、そんなことで片付けられない大問題ばかり。


とにかく主演のシアーシャ・ローナンが素晴らしい。乃木坂の生駒ちゃんにフェルナンド・トーレスを混ぜて二手間くらい加えた顔立ち(好きです)だと個人的に思っているのだが、キャリアは長いがまだ24歳。いわゆるきゃぴきゃぴティーンエイジャーではないのと確かな演技力で全く違和感なし。実際に彼女が17歳くらいだったのはたぶん『ハンナ』とかあたりだと思うが、そのころだったら逆にハマらないと思う。ピンク色の髪色が超似あう。恋をしているときのレディ・バードは本当にキラキラした表情をしている。あとどの私服もかわいい。


ティーンの頃の1年間というのは、瞬く間に過ぎ行くようだが、まるで追体験するかの如くのテンポ感で(そんな意図はないかもしれないけれど)かなりスピーディーにストーリーが進んでいく。青春のハイライトシーンを見ているかのよう。それでいてぶつ切りにならないのは、どのシーンでもある意味ブレないレディ・バードのキャラクター性や、描かれるのが普遍的な悩みだったりする点が大きいのかもしれない。


言ってみれば、根拠のない自信、親への反発、恋や性への憧れ、将来への不安、何者かになりたい等の、誰しもが通る大人への通過儀礼をユーモアたっぷり描いた作品だ。しかし今作が素晴らしいのは、青春物語であると同時に、母娘の、家族の物語であるところなのだ。


劇中、学長が「愛情と注意を払うことは同じじゃない?」といった旨のことを語るシーン。そのあとに映るのは母親である。あの年頃は、親の言うことは全て”注意”に聞こえてしまう。その証拠に、レディバードは母は私の事なんて好きじゃないから、などと言う。娘が嫌いな母親なんて(基本的には)いないし、娘が嫌いな母親が、感謝祭から帰ってきた娘に寂しかっただなんて言うはずがないのに。


しかしこの親子、別に関係最悪というわけではなく、喧嘩しながらも古着を選ぶシーンで急に意気投合したり、二人で家を見に行ったりする。それ以外にも、洗面所での会話やそういった近づいたり離れたりする距離感が本当に絶妙である。


17歳から18歳への1年間で、レディ・バードは初恋を失い、処女を失い、一時友人も失い、母親も(失ってはないけど気持ち的には)失う。肉体的にも精神的にも様々な喪失を経て、最後は自らの意思で「レディ・バード」を失う。その決断に拍手を送りたくなった。本人たちが完全に和解した様子は描かれない粋なラスト。しかし和解のアシストになるのは、かつて母娘の喧嘩のときにソリティアをしていた父親である。


この映画はすれ違うこと自体を否定しない。それは仕方のないことだと。ただ帰ってくる場所を残しておく。それがどれほど大切で幸せなことか。サクラメントは美しく輝いていた。最初から輝いていたのに、というのは野暮だ。レディバード、いやクリスティンが、自らバイトでお金を貯め、こっそり行動した是非はともかく大学へ進学し、運転免許を取得したからこそ得ることが、気付くことができた景色なのだ。


しかし、これ20代後半男性でこの共感度だから、20歳以下の女子はもう大泣きなのではなかろうか。圧倒的傑作。心の奥に大切にしまっておきたい1本。


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