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『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』感想 自業自得というのは簡単だけど


(C)2017 Florida Project 2016, LLC



『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
監督:ショーン・ベイカー
出演:ブルックリン・キンバリー・プリンス、ウィレム・デフォー、ブリア・ヴィネイト など


6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルで、その日暮らしの生活を送っている。シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子供たちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごしている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく———(公式ホームページより引用) 






フィクションとドキュメンタリーの違いとはなんだろうか。例えば、フラットな視点で撮られたフィクションと、ある側面からだけ撮られたドキュメンタリーと、どちらが真実に近いと言えるだろうか。


『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』の視点はフラットである。少なくとも僕はフラットだと思わされた。それと同時に、まるであのモーテルでひと夏を過ごしているかのような気持ちにもなった。俯瞰的な視点ではないように感じたのは、子供の目線の高さで撮られたシーンが多かったかもしれない。


賛否両論の本作だが、おそらく例の「マジカルエンド」についてと、母親がクソすぎて共感できない、という点かと思われる。そして両者共通して、演者は総じて良かったとも思っているはずで、それゆえ作品にリアリティがあったのだ。


ブリア・ヴィネイト(かわいい)演じる母親ヘイリーが、いわゆる良い母ではないことは明らかであるが、個人的にはわざと背景を詳しく描写しなかったのではと考えている。


たとえば、より悲劇的なドラマチックな話にしようと思えば、あんな暗い過去があって...云々など、この人にはこういう事があったなら、転落をしても少し仕方がないと思えるような展開が出来たはずなのだ。普通はこんな人はいないけれど、この人は仕方がないのだと。しかし、そういった個人の背景を描くことをしなかったのは何故か。いわばこの問題は、個人に原因が帰結していない。つまりは個人の問題ではない、個人で解決できるような範疇を越えてしまっていることを示唆しているのではないか。


それでいて、傍若無人ながら私は私らしく生きる!という話ではなく、最終的に制裁を受けている。結局、子供を育てる経済力とモラルが欠如した母親がいた。という話を提示しただけである。そしてきっとこういう母親は、知らないだけでたくさんいるという現実があるはずなのだ。


なぜこうなる前にとか、働けるような体力があるのに仕事をしないのは怠慢じゃないか、と言いたくなってしまう気持ちは分かる。しかし、仮にちゃんと働いていても、下の階の友達のように、モーテルが簡単に抜け出せるかと言えば、そうではない(アメリカでは留守番禁止だからシングルマザーはより厳しい)。だから食糧配給のように、どんな事情経緯でも、どうにか手を差し伸べたいという考え方だってある。


こういう母親はダメだと否定し、正しい母親を称賛するのは簡単である(いや正しく務めている母親は素晴らしいんですが)し、こんな生活を送るようになったのも自業自得といえばそうかもしれない。しかし、それでは問題は解決しない。負の連鎖だというのなら、子供に罪はないというのなら、子供をそういった相談所にとも思うが、果たして子供は不幸だったか。


ヘイリーは愛情だけは確実に与えていた。あんなに楽しそうに鮮やかに笑っていたムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)が不幸せそうにはみえないが、あの環境が最適だとも思えない。結局なにか助けになれればと思いながらも、手は出せず見守るしかない管理人(ウィレム・デフォー、名演でした)と、ついに限界がきて児童相談所を呼んだ下の階の母親。愛を持って見守るのも、愛はなくともシステムで対応するのも、どちらもきっと間違っていない。


「マジカルエンド」については、夢(希望)に向かって走り出したとも見えるし、走って辿り着いた先が夢(の国、つまりは虚像)と捉えれば、現実は横たわったまま何も変わらないとも思える。子供たちに夢を見続けさせるような解決策は、この映画からは提示されない。しかし、仮に解決策が提示されたら?きっと考えることをやめてしまう。安易な解決策の提示なんて現実逃避と同義である。やっぱり意図的に省いているのだと。というか、そもそも答えがあるような問題でもない。


この映画の子供は悪ガキのまま、母親は更生もしない、貧困への解決策も提示されない。ただ、お気楽な綺麗事もない。この「マジカルエンド」は投げっぱなしエンドではなく、確固たる意志を持って、観客に投げかけているエンドなのだ。



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