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『バジュランギおじさんと、小さな迷子』レビュー 感想

(C)Eros international all rights reserved. (C)SKF all rights reserved. 『バジュランギおじさんと、小さな迷子』 バジュランギとはハヌマーンのことで、バーフバリの次はハヌマーンなのだ! と言っても全くピンとこないけど、ピンとこなくとも楽しめる、インドの王道エンタメ作品。わかりやすい伏線を最後にベタベタに回収する。しかも、おじさんと幼女のバディものだぞ! とはいえ、インドとパキスタンの問題について多少知っていたほうが、本作のメッセージや意義を、より感じられることかと思う。 ( 僕はあまり詳しくないのだけれど ) おおまかなあらすじは、インドで親とはぐれてしまった声の出せないパキスタン人の女の子シャヒーダー(可愛い)を、ヒンドゥー教のハヌマーン神の熱烈な信者で嘘がつけないパワンが、母親の元に送り返すというもの。インドからパキスタンまでの珍道中。家に帰るまでが遠足なのと同様に、家に送り届けるまでが、パワンの使命である。そんなわざわざ? と思わせないくらいに、このシャヒーダーちゃんが尊いのよな。 あまりインド映画をたくさん見ているわけではないので、なんとも言えないけれど、インド映画といえばやはり歌! そしてダンス! かと思う。しかし、クライマックスでザ・インド映画的な歌と踊りは登場しない。それはなぜか。最後の舞台がパキスタンだからである。 インド映画でありながら、インド映画的要素は、インドパートでしか扱わない。歌や踊りはもちろん、アクションシーンも。インド内では、ド派手に人は飛び、ガラスは割れるが、パキスタンパートでは、かなり本格的で実践的だ。インドではザ・インド映画を、パキスタンでは美しい風景のロードムービーといった趣向だ。それを踏まえると、インドパートでのあの歌が大きな意味を持ってくる。 「信じるものは違っても、信じる心は同じ」このメッセージを強く感じる本作。違うものを好きだという君に理解を示す。という解決策。テーマ的にどちらかに偏れば、どちらかから声が上がりそうなところを、絶妙なバランスでどっちもいいよね! を実現している。インドでもパキスタンでも登場人物ほぼ善人である。ご都合主義と言われかねないが、「こんなのあるわけな

『チワワちゃん』感想

(C)2019「チワワちゃん」製作委員会 『チワワちゃん』 今作を中身のないお洒落映像と言う人もいるだろう。だが、他人のモラトリアムを傍からみればそんなものだ。僕らの時代だ! と言わんばかりの若さ故の全能感には限りがあって、唐突に失われたそれは、ポッカリと心に穴を開ける。本当はどこかで気づいていたけれど、気づかないフリをしていたのかもしれない。 チワワちゃん役の吉田志織は、あの役柄に説得力を持たせるには充分すぎる眩しさだけど、僕は玉城ティナちゃん派。皆に好かれる極彩色な虚無の象徴みたいなチワワちゃんに、好きな人や居場所をどんどん奪われるけど、いざ失ったら喪失感を感じる門脇麦が良い。ヒロインになり損ねた女の子。だが、まあ既視感はある。若手出演者陣が生のエネルギーを溢れさせるなら、門脇麦 ( 村上虹郎くんも ) の存在が表面的な話になりそうなところに、グッとリアリティというか現実感を与えている。 あの頃の僕らは何が楽しいかわからないけど、何もかもが楽しかった。苦しいことも悲しいことだってあった。でも失ったらやっぱり寂しくなる。死んだら文句も言えない。だからこそ、チワワちゃんと、過ごしたあの日々にちゃんと別れの挨拶をして、明日に向かうのだ。 「 Have a Nice Day! 」 僕は彼らのようなパリピではなかったので、全能感なんてなかったけれど、全能感というよりは、まあなんとかなるだろ感は持っていたとは思うし、いまも引きづっている節はある。この手のモラトリアム映画大好きだけど、そうはいっても映画の登場人物達は 20 歳前後で、いまさらアラサーの僕がなにを共感してるんだ、という話は分かっている。僕が『チワワちゃん』を見てエモーショナルな気持ちになっているときに、地元の友人は子供が生まれて父になった。 『チワワちゃん』はかつての時代を振り返る話で、僕にはチワワちゃんみたいな友達はいなかったけど、チワワちゃんを通じて、登場人物のみんなと同じように、過去を、かつて同じ時を過ごしたひとのことを思い出してしまう。そういえば、今作の公開は「成人の日」の 4 日後だったけど、僕は成人式で、きっと ( 数名を除いて ) この人たちと会うのは今日が最後なんだろうなあ、と強く思った記憶はあっ